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せっかく声をかけたのに、予想外に嫌な顔をされ少し落ち込んだ謙信だった。
「増岡さん、けっこうさっぱりした方だったので、あんな顔するんだなぁって、びっくりしました」
「そんなにですか?」
「すごい嫌そうな顔してましたよ」
「それは、もう謝るしかないです……ただ恥ずかしかっただけなので……失礼しました」
それから謙信と恵子は少しだけ生活やトレーニングの話をした。
店長時代の謙信とは時々話していた気がするが、ほとんど他愛もない世間話や商品に関することだけだった。こんなふうにプライベートを話すのは初めてだ。
恵子は今までのイメージと違う謙信を少しだけ「かわいい」と思った。それは、息子の千尋や、犬や猫や、動物園のペンギンなんかを「かわいい」と思う感情に似ている。
「またジムで会ったら挨拶くらいしても良いですか」
「はい。じゃあ、ときどきマシンの使い方聞いても良いですか?」
「もちろんです。俺でもいいし、女性のスタッフさんに聞いてあげるし。いつでも」
謙信はひらひらと手を振って休憩室を後にした。
その袖から覗く腕の内側は張りが良かった。後姿は、うなじへ続く肩からの線がまるで富士山のように滑らかで、癖のある髪を結んだおくれ毛がその中腹にふわりと落ちていた。
恵子はまた、ゾクリとした。
(キモい?いやさすがにそこまでじゃないか。髭でロン毛だからかな。うぅ…)
売り場へ戻り交代のスタッフに声を掛けてレジに入る。外を見ると謙信が駐車場から車を出すところだった。
「恵子姉、ケンシンさん帰っちゃったよ。会いました?」
「ああ、さっきちょっと休憩室で」
「ね、前と違うでしょ?」
「胡散臭くなってたね。チャラ男から進化してた」
若いスタッフがゲラゲラと笑い、恵子も一緒に笑った。
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