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私たちは特別
隼人の胸に指をくるくるさせながら上目遣いの美緒が甘えた声を出す。
「奥さん、気づいてないんですか?」
バレるのを心配しているのか、それとも自分の存在を気付いてほしいのか定かではない。
「ああ、全然。なんでだろうね。俺に興味ないんじゃない?毎日のんきなもんだよ」
「ふうん。でも別れないで、ちゃんとおうち帰って一緒に寝てるのね」
「まあ、ね。別れるにはちょっとハードルが高いかな、今んとこ」
あっそ、とちょっと拗ねた様子の美緒を見て、隼人はたまらず抱きしめる。
隼人の前にはとても高いハードルがある。
そう簡単に妻とは別れられない。
恵子の母は自分たちの勤める会社の経営者だ。
(さすがに部下に手を出したなんて社長にバレたら、降格かそれともクビか、いや、クビはないか?……でも、それで離婚なんて事になったら、やっぱ会社に居られないよな……)
言ってしまえば気が楽なのだろうけど、それは出来ずにいる。
妻に頭が上がらないみたいで、自分が尻に敷かれているみたいで、カッコ悪くて言い辛い。
自分のことを「素敵な大人の上司」だと思っている一回りも若い可愛い女に、そんな姿を見せるわけにはいかないのだ。なんだこんなもんかと、幻滅されたくないのだ。
この関係を絶対に終わらせたく無い。この可愛らしい女を手放すなんて絶対に出来ない。そんなことは、絶対にしたくないのだ。
小さなプライドが小さな嘘を一つ作った。
「俺が好きなのは佐々木だけだよ」
「もう、美緒って呼んでくれなきゃヤダっ」
隼人はわざと名字で呼ぶ。
美緒が「下の名前で呼んで」と必ず言うからだ。
「美緒は悪いコだね。奥さんのいる人と内緒でこんなことしてるなんて」
「ずるい、店長。美緒だけのせいじゃないもん」
「わがまま美緒ちゃん、ワルイコには店長がお仕置きしてあげないとね」
私たちは特別だ。
美緒は溺れていた。
妻子持ちの上司と許されない関係にいる。
でも愛されているのは奥さんじゃなくて自分だ。
隼人も溺れていた。
一回りも年のちがう若い女が自分のことをこんなにも求めてくる。
結婚して子供もいる自分は、妻以外とはもう誰とも関係を持つことはないだろうと思っていたのに。
美緒は年齢よりも幼い顔つきで、かわいらしく、少し垂れた目じりが特に隼人のタイプだった。見た目に加えて明るく快活な美緒は当然他の男からの視線も熱い。それは社内外問わず。その美緒が実は自分と関係を持っている。
優越感。
誰にも知られてはいけない関係だからこそ秘密を共有した二人の間はさらに深まる。
背徳感。
「バレるかもしれない」というスリルがあるからこそ一層燃え上がるのだ。
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