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 万が一に備えて大慌てで追いかけたものの、本気のお父さまに追いつくはずもない。私たちが街に到着した頃には、すっかりひとだかりができていた。  一見すると、嫁と間男による浮気現場を押さえた怒り心頭の夫なのだけれど、お母さまはあらまあと言って頬を押さえつつもやっぱり笑っているし、お客さまなんかお仕事用の笑顔を越えて本気で楽しんでいる。 「あら、ヒルダの婚約者はもうお決まりに?」 「あなたは知っていたんだろう? ヒルダには最初から心に決めた相手がいたことを。ふたりで助け合っている姿を見せられて、俺が最後まで反対できるわけがない」 「あなただって、気がついていたくせに。素直にふたりの仲を認めてあげないから、こんなことになるのよ。それで、本音は?」 「マライア、あなたの隣に立っていいのは俺だけだ!」 「まあ! 熱烈な台詞ですこと」  ころころと笑うお母さま。さすがですわ! 男をたぶらかす悪女という噂が流れるのがよくわかる妖艶さです。まあ実のところお母さまは一途で素直な性格なのだけれど。 「まったく、どうしてこんな辺境に王都の看板役者がいるんだ」 「この方が俳優だってご存じでしたの?」 「ヒルダに見せてもらった。クローゼットに密かに隠し持つほど、こいつに惚れこんでいると?」 「まあ、ヒルダったら!」  お母さま、勝手にクローゼットを漁ってごめんなさい! あ、お母さまの目が笑ってない。一気に周囲は氷点下。これは、早朝木剣素振り千本がしばらく続くわ。死ぬ。 「この方には僕からお声をかけました。僕の一族は武に秀でてはおりませんが、人脈と策略にはほどほどに長けておりますので」 「『ほどほど』などと謙遜されても逆に鼻につく。はあ、我が娘もとんでもない男を引っ掛けてきたものだ。家名を聞いてまさかとは思ったが」  やはりお父さまも、アンドリューのご実家のことはご存じだったらしい。まあ国防の最前線である辺境伯を野蛮な田舎者と軽蔑する王都の貴族の中で、珍しくこちら側に好意的な方々だもんね。  憎々し気に客人を見つめるお父さまの視線に気が付いているはずなのに、お客さまはあくまで穏やかに微笑みかけてくる。もうお父さまったら、本当に心が狭いのだから。だからお母さまは、姿絵をクローゼットに隠してしまうのよ。 「今回は、お招きいただきありがとうございます」 「はっ、俺は招いたつもりなど一切……うん?」 「どうかされましたか?」 「いや、声が……。それに、その肩幅に身のこなし。絵姿では気が付かなったが、もしや」  お父さまったらもう気が付いたのね。絵姿ならともかく、対面ともなれば武術の達人にはバレバレか。  そう、彼女は新進気鋭の舞台俳優なのだ。麗しい彼女が手を振ると、黄色い悲鳴が辺り一面に響きわたる。その隣で、お父さまががっくりと地面に膝をついた。 「……俳優と聞いたら、男だと思うだろうが」 「お父さまったら。最近は、男性も女性もどちらも俳優と呼ぶのですよ」  役者の呼称を「俳優」「女優」と分けていたのは、以前の話。とはいえ、王都でも若い世代でなければ「女優」という言葉はまだまだ現役だ。辺境に住む、あまり演劇に興味がないお父さまが知っているとは思えない。だからこそ私たちは、お父さまの嫉妬をあおる形で、勝負を放棄させたのだった。それに、好きな相手がいるのにあんな武闘会を開かれたことへのちょっとした意趣返しだ。 「なるほど。これが君の戦い方か」 「閣下、申し訳ありません。ですが、体力や剣技では僕があなたに勝つことは難しいでしょう。真っ向勝負で挑むことだけが、戦いだとは僕は思いません。泥臭くても、みっともなくてもかまわない。最後に勝った者が笑うのです」 「女には絶対に負けられない時がありますの。私の勝ちですわ、お父さま」 「確かに俺の負けだよ」  私たちの言葉に、お父さまはお母さまを抱き寄せて楽しそうに笑い出したのだった。
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