深夜の怪異。

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深夜の怪異。

 短く促され、目を凝らした。え、と声が漏れる。校舎のあちらこちら、いや、それだけではない。校庭。飼育小屋。花壇。遊具。学校中のありとあらゆるところから、小さな靄の塊がゆらゆらと浮かび始めていた。俺の膝の高さ辺りを漂うそれらは、ゆっくりと此方へやって来る。否、目指しているのは小山だ。学校中から湧き出た黒い靄が小山を目指して流れて来る。 「先輩。あれは、何ですか」 「見えたかい。君も霊感が強くなったか?」 「全然嬉しくありませんね」 「では次は耳を澄ませてみ給え」  その言葉に、今度は聴覚へ意識を集中させる。囁くような、微かな声。だけど確かに聞こえた。 『先生が、理不尽に、僕を叱った』  これ、は。 『算数、わかんないのに当てられる』 『習っていない漢字なんて読めない』 『家にいたくないのに帰らされる』 『トイレを覗かれてからかわれた。お腹が痛いのはしょうがないのに』 『飼育当番の仕事をしたら、鶏小屋の匂いがついた。臭いって水をかけたのは、いじめだよ』 『どうして、みっくんは僕の煮物に牛乳をぶちまけたの』 『給食を食べ終わるまで片しちゃいけないって、小食なのはしょうがないじゃん』 『先生の機嫌が悪いと怒鳴り付けられる。私はただ、日直だっただけなのに』 『私のきんちゃく袋をハサミで切ったのは誰?』 『お父さんがお土産に買って来てくれたボールペンの飾りを千切ったヒィ君、あれは絶対にいじめだよ』 『私の筆箱を捨てないで』 『僕の教科書を塗りつぶさないで』 『ボールをぶつけないで』 『大きな定規で叩かないで』 『大事なものを壊さないで』 『人の心を踏みにじらないで』 『どうして笑っているの』 『何で笑顔を浮かべているの』 『やめて』 『嫌だ』 『怖い』 『助けて』 『誰も』 『いない』 『……嫌い』 『大嫌い』 『学校なんて』 『無くなっちゃえ』 『無い方がいい』 『行きたくない』 『家にいたい』 『でも家にいたくない』 『いじめられているのがお母さんにバレてしまう』 『正しい者がいじめに負けるなって、お父さんが僕を叱る』 『小学校、爆発すればいい』 『火事になって燃え尽きちゃえ』 『いじめっ子のあいつを閉じ込めて』 『先生を柱に縛り付けて』 『燃やしちゃえ』 『燃やし尽くしちゃえ』 『壊そう』 『壊し尽くしちゃおう』  靄は渦巻き、徐々に一つの形を取った。校舎を見下ろす巨大な人影。そいつの顔に、無数の人の目が開いていた。四方八方を見渡している。俺は呆然と眺めることしか出来ない。足は凍り付いたように動かなかった。心配するな、と先輩が場にそぐわぬ明るい声を掛けてくれる。あれが先輩に見えていないわけない。だって俺より霊感が強いのだもの。荒れそうになる息が、少しだけ落ち着きを取り戻す。一方、あの無数の目に捉えられたらどうなってしまうのかという恐怖は拭い去れなかった。  そろそろか、と先輩が何処かを見遣った。視線を追った先には校舎に掛けられた大きな時計があった。針の重なる音が響く。  零時、丁度。  途端に巨人の形をした靄が足元から何かに吸い込まれ始めた。大量の目が一斉に同じ方向を向く。俺を、俺達を見た。  わけではなく。奴らにとってその手前、例の小山を凝視していた。みるみる内に靄が吸い込まれていく。校舎よりも背の高かったそれがあっという間に小山へ取り込まれる。  零時、一分。  巨人は、消えた。  後には静けさと、空っぽの小学校が残った。  ふむ、と先輩の声で緊張が解ける。道端に座り込み掛けたけど、腕を組んだ先輩は立ったままなので叶わなかった。あの、と懸命に絞り出す。 「説明、して貰えますか」 「見ての通りだよ」 「見たものが理解出来ないから解説を求めているのです」  しかし先輩は、場所を変えよう、と俺を引っ張った。歩調はゆっくりとしており、震える足でもついて行けた。歩きながら先輩が口を開く。 「あれは小学校に溜まったマイナスの感情さ。嫌な思いがあんな風に染み付いて、堆積して、表出して一つになって巨大な怪異となる。まあ見た目と違って力は無いから校舎をぶっ壊そうとしてもすり抜けるだけだろう」 「本当ですか?」 「だって君、定期的に校舎をぶっ壊せる怪異が現れてごらんよ。日本全国、学校という建築物は存在しなくなっちまうぜ」  確かに先輩の言う通りだ。 「え、じゃあ学校ってどこも同じようなものなんですか?」 「まあな。むしろこの小学校はしっかり対策をしている方だ。あの小山は霊山だね。人工的な、さ。日本一の御山の力を分けていただき、吹き出た怪異を封印する。そのための小山があれだ。吸い込んでいくの、見えただろ」 「そんなちゃんとしたものが、あんな無造作に置かれていていいのですか」 「必要があって、あの形へ落ち着いたんだと思う。それに、私達はフェンスのこっち側からしか見ていないけどさ。学校の中からあの小山を見たらまた違った景色が目に入るかも」  喋りながら角を曲がる。 「立ち入り禁止とか?」 「あとは七不思議になっているとかね。あの山に近付くと人が消える、みたいな。怖い話は完全創作の場合もあるが、何かを隠す、或いは近寄らせない、などの必要に応じて作られたものもある。そういう怪談話があるかも知れないし無いかも知れない。確かめるのに手っ取り早いのは通っている小学生に尋ねることだが、今の御時世、声掛けは不審者扱いされるからねぇ。案外、ネットにそういうローカルな情報は出て来ないし、私達には確認出来なさそうかな」  不意に先輩が足を止めた。俺達がさっきまでいたところから、角を曲がって数十メートル進んだ位置。遠くに小山が確認出来た。ところで、と先輩が俺を見上げる。 「自業自得という言葉の具体例を一つ目にしていこうじゃないか」
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