いつか過ぎ行くこのひとときに

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 十六歳の娘がクライミングにはまった。  オリンピックで影響されたのかと思ったら、二年ほど前からジムに行っていると母さんに聞かされた。  娘との仲はいいほうだと思っていたが、自分で思っていたほど会話してはいなかったようだ。 「ソトイワをやりたいんだ」  娘はそう言った。  ソトイワは外岩か。ジムの人工物ではない、自然の壁に挑戦したいということか。 「危なくないのか」 「ジムと比べれば、さすがにね」  クライミングジムがどういう環境なのかも私は知らなかった。 「ボルダーだから。落ちてもたいしたことにならない。クラッシュパッドもちゃんと準備してるし」  専門用語がどんどん出てくる。 「父さんは何をすればいいんだ」 「車で運んでくれればいいだけ。クリアできてもできなくても、三時間で切り上げる。ダメ?」  女の子なのだ、本音を言えばそんな危ないことはしてほしくなかった。  だが私は、理解ある父親になりたかった。そういうふりをしたかった。愛というよりも打算だ。 「もちろんだ。他にできることがあれば、何だってする」 「私が登ってるときは、近づかないで。二人とも怪我するから。だからほんとに、何もしなくてもいいから」  娘はきっぱりと言った。  十六歳など子供だと思っていたが、その時の顔は大人びて見えた。    
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