山を登る

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 黒い礼服に黒いネクタイ。  奴は淡々と喪主を務め、ただ小さくなる一方だった。  それから奴はそんな『鈴』とともに登山をまた始めたんだ。  五十を過ぎて、そろそろ俺なんかに付き合ってないで、一人で富士山に登っておけよ、と言った次の年に、奴は人間ドックで引っかかった。 「胃、だって」  要精密検査と書かれてあるものを見ながら、よく分からない数字を見せられた。少し寂しそうに笑いながら。  癌だった。  癌にとって五十は若い。 「なぁ、俺とすず、富士山に連れて行ってくれないか?」  馬鹿なこと言うなよ。  笑って返すと、奴も笑って「だよな」と言っていた。  お前が連れて行かなければ、意味がないだろう?  通夜の日に、奴と同じような黒い礼服の弟に頼み込んだ。 「お兄さん夫婦を富士山へ連れて行ってあげる約束をしたんです」
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