コンバラリア

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幸福の白にいる。 清楚な匂いや可憐な姿とは程遠い。けれど、奥の方でずっと望んでいた感覚が弾けて、途端、それは白に染まった。 「鈴珠ちゃん」 「鈴珠」 名を奏で、響く声の優しさが心地よくて、気持ちよくて、涙が出るほど嬉しくて。そんなどうしようもない不誠実な女を男たちは手にかける。 慣らして、ほぐして、大事にしてきた年月以上の思いを込めて、突き動かした腰は熱く、痛く、積年の薄膜を壊して、ひとつに染まる。それは純白と呼ぶには歪な色で、白濁と呼ぶには赤い色素が混ざっていた。 「ッ、あ……ぁ…ぅ」 初めて聞く声の種類。 微弱に震える肌の余韻に、蠢く四本の腕は止まり、見慣れた二つの顔が、そろって中心を覗き込む。 「可愛い。鈴珠ちゃん、こっち向いて」 「ンッ……り、つ……ぅッ…ぁ」 「鈴珠……やば、腰とまんねぇ」 「ヒァッ、や、ぁッ……け、ぃと」 裸で絡み合うシーツは、よくわからない染みの斑で、それが同じ体内から暴れ出た情欲の証拠なのであれば、恥ずかしさが輪をかけて襲ってくる。 「っ、く……ぃくッ…ぁ」 しがみつくのは前か、後ろか。 息も絶え絶えに、掠れた声で告げた鈴珠の訴えに、「りつ」と「けいと」は、揃って抱き締める形でそれに応えた。 苦しむ彼女の顔を。悶える彼女のうなじを。快楽を恐れて逃げるその身体を強く深く抱きとめて、内部の壁越しに彼らは互いを確認しあう。すると、「鈴珠」は面白いほど痛快に鳴いた。  * * * * * * 愛峰鈴珠(あいみね すず)、築島圭斗(つきしま けいと)、間戸部利津(まとべ りつ)の三人は、いつも一緒だった。きっかけは、幼稚園の延長保育で最後まで残っていたメンバーに過ぎない。そして偶然か、必然か。三人とも誕生日が同じ五月だった。幼稚園の「誕生日コーナー」には、鈴蘭の花のように連なって、三人の名前が壁に並んでいた。そのうち、互いの親もいつしか顔馴染みになり、小学校、中学校では家を行き来し、寝泊まりを平然と行えるほどの関係で育ってきた。そんなこともあり、気付けば、幼馴染よりも腐れ縁に近い存在で三人はいつも一緒だった。  女とか、男とか、そういう付き合いになることもなく、周囲の期待や不安を他所に、三人の関係性はいつまでたっても、どこまでいっても、色気のない話題しか浮上しない。何なら、二十五年間、彼氏のひとりも出来ない鈴珠とは違い、圭斗も利津も彼女を作ってよろしくやっていた。 「イヤじゃないの?」 「なにが?」 中学でも、高校でも、仲良くなったクラスメイトから投げ掛けられる質問は同じ。 「鈴珠は、築島と間戸部が他の女にとられて平気なの?」 それに、どう答えるのが正解だったのだろう。 「平気も何も、私たちはただの腐れ縁だよ。圭斗も、利津も、モテるから仕方ないし。それに、彼女を作ってくれたほうが私も自由になれるじゃん?」 「とか言って。本当は二人を独占したいんじゃないの?」 「べっつにー。放課後に連れ回されたり、週末に押し掛けられたりしなくなれば、私にも彼氏ができるかもしれないでしょ」 「んー、無理じゃない?」 「ひっど。私だって、本気出せば彼氏の一人や二人できるんだから」 「そりゃ、すぐに出来ると思うよ。あの二人との腐れ縁が切れたらね」 「ほんっと、なんで二人がモテて、私に彼氏が出来ないわけぇ?」 青春時代の一頁を走馬灯のように思い出したのは、久しぶりに会う二人を想像したせいかもしれない。忙しくて、一年間、まともに連絡すら取っていなかった。 仕事に忙殺されていたとも言える。ともかく、夜の八時。オートロックのイヤホンで利津の声を聞いたときから鈴珠は心拍の高鳴りを感じ、扉の前まで来て、口の乾きを覚えていた。 あれほど毎日いたから、たった一年が、とても長く感じてしまう。 「鈴珠ちゃん、いらっしゃい」 「う、うん。利津、久しぶり。圭斗は?」 「もう来てるよ」 控え目な「お邪魔します」を「どうぞ」と優しく出迎えてくれた場所で、改めて見た二人は、鈴珠の想像以上に男の人になっていた。会えなかった一年分の緊張感は、ほんの数秒というより、「鈴珠、遅ぇよ。相変わらずアホ面だな」という圭斗の憎まれ口で吹き飛び、久しぶりの逢瀬は賑やかに始まった。 世間はゴールデンウィーク。五月五日のこどもの日。いつの頃からか、三人で集まる習慣が根付いた。年齢が二十歳を越えれば、そこにお酒が加わったが、やっていることは年齢が一桁の頃と何も変わらない。互いに誕生日プレゼントを用意し、おいしいものを食べるだけの会。 二十五歳最後の五月五日。開催場所は、利津が暮らす一人暮らしの部屋のリビング。例年にもれず、今年も鈴珠は圭斗と利津の三人でホールケーキを囲むことにした。ところが例年と違い、いつもと少し違うデコレーションになっている。それにいち早く気付いたのは、圭斗だった。 「なに、鈴珠。佐代子さんとこのケーキ屋、デコレーション変えたの?」 パーマのかかった茶髪にピアス。学生時代バスケ部のエースだったこともあり、派手さが抜けないばかりか、見た目は完璧に若さを謳歌している。彼女は顔面偏差値が軒並み高く、細身でおしゃれな子が多かった。両親は固い仕事をしているため、学力関係は厳しかったようだが、ひとつ年上の兄が良い緩衝材になっているのか、本人はいたって人生を楽しんでいるようだった。 器用で愛想が良いと、色々得なことも多いらしい。圭斗の機転の良さは、常々見習いたいと思っていた。けれど、それを「めざとい」と目を細めるのも鈴珠の本音だろう。 圭斗は、今は鈴珠の左隣で片膝を立てて座り、ロウソク用のライターを持って待機している。だからこそ、余計に鈴珠が取り出したばかりのケーキの雰囲気が例年と違うことに気付いた。鈴珠の母親の佐代子は、ずっと変わらず、ケーキ屋の正社員として経理をしている。 「それに鈴珠の好きなチョコプレートも無くね?」 右隣で一人静かに、箱についた店舗シールを確認し、ついでに店名を携帯で検索していた利津の声が、圭斗を追いかけたのはそんな時だった。 「たしかに、なんか、前よりも派手っていうか、あ、やっぱり、これ鈴珠ママの店じゃない。ロゴがほら、圭斗」 「え、まじ。オレ、佐代子さんとこのケーキ屋以外の生クリーム苦手なんだけど」 「俺も。他の店のならチーズケーキが良かった」 「それな。いかにも女が好きそうなケーキとか甘いだけじゃん」 鈴珠の右隣にいた利津の携帯画面をのぞき込むように、圭斗が身を乗り出してきた。おかげで茶色の髪が視界を塞ぐ事態に陥っている。このままでは鈴珠がつぶれると思ったのか、それはどうか定かではないが、利津が反対側から体勢を乗り出してくれたおかげで、なんとか二人は鈴珠を両サイドから挟む形で落ち着いた。 ふわりと両方からいい匂いがする。 派手で遊び好きの圭斗と違い、利津はいかにも品質の良さそうな雰囲気が着るものからも現れている。地元で有名な「間戸部医院」の息子であるうえ、高台の豪邸に住む美形金持ち一家であることも知られている。専業主婦の母は特に美人で、参観日は注目の的だった。遊びに行くと高級なお菓子を出してくれて、ピアノの音色が当たり前のように響いていたのを覚えている。 母一人、子一人の鈴珠には別次元の世界で、艶やかな黒髪を軽やかに揺らしてピアノを弾く利津と一緒の空間にいることを何度も夢みたいだと思ってきた。さらに、姉と兄と妹に挟まれた利津は、空気を読むだけじゃなく、世渡りがうまい。学生時代、テスト勉強から始まり、提出物や行事関連の荒波は鈴珠も圭斗も随分と利津に助けられた。 「圭斗も利津もうるさい。いいでしょ、別に、たまには違うところのケーキだって」 そんな二人を引き裂くように、鈴珠はケーキに意識を戻す。二人と違って、結局平凡な人生を送り、華やかさとは無縁の生活をしてきた。でも、それは学生時代までの話。 今は、アパレルショップのWEBデザイナーをして、そこそこ稼いでいる。圭斗と利津が女の子とよろしくやっている間、地道に技術を磨いてきた成果のおかげで、好きな店のケーキを買えるようになったのだ。 「げ、こいつ。この間の婚活パーティーに来てたパティシエじゃん」 「どこかで見たことあると思ったら、それか。鈴珠ちゃんのこと変な目で見てたやつ」 「彼に頼んで、ちゃんと甘くない生クリームにしてもらったんだよ。お母さんがケーキ屋さんだって話をしたら意気投合しちゃって、って、待って。なんで二人が婚活参加したこと知ってるの?」 この場合、正しい効果音を現わすなら「シーン」が一番最適だろう。黙秘権を通すつもりか、利津が無遠慮にロウソクを突き刺して、圭斗が火をつけている。 「電気消すぞ、まずは鈴珠からな」 「待って、圭斗。私の質問に答えてない」 「鈴珠ちゃん、危ない。髪、燃える」 「利津、ありがとう。じゃなくて」 ケーキのロウソクを順番に吹き消して、願い事を口にする。それから誕生日会を始めるのが通年の習わしだが、それよりも前に解決しておきたいことが、今、鈴珠に芽生えたのだから仕方ない。 「婚活のこと、私言ってないよね?」 「あー……言ってた、な、利津?」 「うん。言ってた」 「言ってないし、言うわけないし。二人に言ったら邪魔されるから誰にも言わずに参加したんだけど!?」 電気が消えて、真っ暗な室内で、橙のロウソクの灯りだけが焦る鈴珠の顔を照らす。二十五年間。両脇に控える二人のせいで、彼氏も出来ず、色気の無い話を送ってきた。別に興味がなかったわけでも、そういう機会に恵まれなかったわけでもない。 ただ、週末も放課後も三人一緒に過ごし、周囲からも三人ひとつで扱われていた時代が長すぎた。 たった一年。接点のない時間を過ごしただけで、二人の彼女ではない立ち位置に気付いた鈴珠の心は、わかりやすく靄を生んだ。空しさや苛立ちを感じてしまった。寂しいとか、会いたいとか、そういう当たり前の感傷を生まれて初めて感じて、ようやく鈴珠は女としての焦りを得ていた。 だからこそ、参加した婚活パーティー。知り合いの紹介は、そもそも論外。 彼女を筆頭とする圭斗の女には表で、利津の女には裏で、わかりやすい対抗意識を燃やされて、鈴珠は生きてきた。 友だちにさえ、「彼氏がほしい」と言えば「いやみ?」と返され、「付き合うってどんな感じ?」と聞けば「胸に手を当てて自分の日常を思い返してみな」と怒られた。わかりやすく息を吐くしかない。たしかに、学生時代はそれでよかった。 二人に彼女が出来ても寂しい思いはしなかった。熱を出せば傍にいてくれて、欲しいものがあれば買い物に付き合ってくれて、約束した予定を優先してくれていたからかもしれない。 けれど、社会人になって、鈴珠は思い知った。周囲の同年代に比べて、異様に恋愛偏差値が低いことに。 「それより鈴珠ちゃん。『彼』ってなに、付き合ってるとか言わないよね?」 「お前、マジで相手のことも考えろよ」 「え、なに。なんで私が脅されてるの?」 意味がわからないと、鈴珠はふてくされる。 室内に灯るのはロウソクの炎だけ、だからだろうか。橙色に染まる二人の瞳が、いつもと違って、別の色を宿しているように見える。 見慣れた顔、それでもまだ自分の知らない顔がある。その事実が垣間見えた気がして、鈴珠は空気と声を飲み込んだ。 「付き合ってない、付き合ってないってば。そんなの聞かなくてもわかるじゃん。二人と違って、ほいほい恋人なんかできないんですよーだ」 返答するまで無言の圧力がかけられる気配を察して、敗北を認めた鈴珠の声だけが空しくロウソクの炎を揺り動かす。 「なんだ、脅かすなよ」 なぜ圭斗がその台詞をはくのか、わからないから苛立ちが込み上げる。当然、鈴珠は顔に風船を仕込んで、唇を噛んだ。 「鈴珠ちゃん、唇は噛んだらダメだよ」 細くても角ばった男らしい利津の指が鈴珠の唇を揉む。それがいつもと違う感覚を連れている気がして、まともに利津の顔を見れなくなる。挙動不審だとわかっていても、唇の表面を撫でる利津の指に反応した鈴珠は、わかりやすく身体を揺らして、距離を取った。 鼓膜が体内の音を盛り上げているのを鈴珠は感じる。心臓が口から出ていないだけマシかもしれない。ついでに、妙な恥ずかしさが込み上げてきて、平常心が狂っていく。 「なんでそんな顔してんの?」 これは、鈴珠の表情の変化を指摘した圭斗の声。あろうことか、そのまま鈴珠に顔を近づけて、額が重なるほど影を落としていた。 「ち、近いッ、か、ら」 今度こそ、確実に距離をとって、鈴珠は圭斗を遠ざける。それが利津と違って、圭斗には気にくわなかったらしい。明らかに不機嫌な顔になって、逆に鈴珠の逃げ場を塞ぐように肩を引き寄せた。 「別に顔、近いのなんて今さらじゃね?」 「そ……ぅ、かもしれな、うぅ」 耳たぶをくすぐる声が、知っているようで知らない圭斗を連れてくる。歴代の彼女たちは、こんな色気を間近で感じて、どう耐えしのいだのだろう。それを思うと、少しの理性と苛立ちが、現状に立ち向かう勇気をくれる。 「圭斗ばっかりズルい。俺も鈴珠ちゃん、抱き締めたい」 「はっ、えっ、なっ!?」 芽生えた勇気が急速に萎んで、背中に伝わる二人目のぬくもりに狼狽え始める。 ひとことで言えば、混乱していた。 リビングの床に座った状態で、左前から圭斗に、右後ろから利津に、匂いを嗅がれる今の心境は、耐え忍ぶには経験値が圧倒的に足りていない。 案の定、キャパオーバーを告げた鈴珠は、二人の間で息を止めて、顔を真っ赤にして、小さく固まっていた。 「ああ、本物の鈴珠ちゃんがいる。ずっとこのままがいい。一年が長すぎて地獄かと思った」 「わかる。鈴珠が全然相手にしてくんねぇから、めちゃくちゃ鈴珠不足」 「鈴珠ちゃん、全然恋愛に興味なかったのに、急に意識しだすとか、可愛さが増す」 「ようやく男として意識されたって、どうよ。オレたち可哀想すぎんだろ」 「押してダメなら引いてみろ作戦で自覚してくれてよかったよ。今まで散々、俺たちの告白、完全スルーしてたもんね」 人が無言なのをいいことに、言いたい放題口にし始めた二人の男に、偏差値の低い鈴珠が対応できるはずもない。 「好きだ、鈴珠」 「鈴珠ちゃん、愛してる」 昔から何度も聞いたはずの告白が、今回ばかり違って聞こえるのはなぜだろう。 わかっていて、わからないふりをしていたのかもしれない。本当は、気付きたくなかったのかもしれない。 「鈴珠、返事は?」 圭斗に無理矢理顔を持ち上げられて、鈴珠は橙色の部屋の中でその目を見た。 色香に揺らめく瞳は真剣で、冗談など微塵も含まれていないのだからタチが悪い。 「……ごめん、なさ…ぃ」 消え入るような声で謝罪を口にする。途端、「は?」と、わかりやすい音が両サイドの二人から聞こえてきたが、鈴珠は萎縮して、ますます小さくなるばかりだった。 「どっちか、選べない……二人とも、同じくらい、好き」
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