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16.掟と使命
「ベデルグだと。貴様、あの雌の落とし子なのか。言え、あの雌はどこにいる、今もその場所にいるのか」
「母は、死んだ。死んで俺が喰らった。今は、俺の中にいる」
「いつのことだ」
「何百日……、いや」
言いかけて暦の知識を思い出し、言葉を変えた。
「今から一年半ほど前、俺が生まれたのはその頃だ。それから一年をかけて、九十九の兄弟たちの屍と命尽きた母を喰らった。
母は、百年ほどそこに棲んでいたそうだ。俺は母を喰らったのち、遺言に従いその地を発った」
「生まれて、まだ一年半だと? どうりでまだ赤ん坊……、いや、それにしては育ちすぎている。ベデルグのゴウラを喰らったせいか」
「お前は母を知っているのか。ならば教えて欲しい、俺は母のことを何も知らないのだ」
「待て、その前に父親のことも問おう。お前の父は何者だ」
「父は、知らない。会ったこともないが、母によれば、俺が生まれる少し前に戦いに敗れ死んだそうだ」
「戦い? もしやあの人間どもとの戦争のことか。あの戦には、一族の者は関わっていなかったはずだが」
「よくは知らない。母も百年前に別れたきりだそうだが、離れても繋がっていたゴウラの糸が切れたことで、父の死を察したそうだ」
「その者の名は?」
「本当の名は、母も知らないと言っていた。ただ周囲の者からは、暴嵐の王などと呼ばれていたらしい」
「なにっ!」
今度は、緊張などという生易しいものではない。龍たちのゴウラが激しい怒気であふれ返った。
この時点で、ヴィーラグアは真相の一端に触れたことを知った。
魔王は、種族全体ではなく一部の者にとっての王に過ぎず、それ以外の者からはむしろ疎まれていたこと。
そしてあの戦争も、魔王が単独で引き起こしたものであること。
(俺は、その憎まれ者の子として生まれ変わったというのか。当の魔王を倒した、この俺が。
では、母は? 母はいったい何者なんだ)
「教えてくれ、母のことを」
アスザァリムは、ヴィーラグアを怒りと憎しみに燃える眼で睨みつけながら、応えた。
「知りたいか。裏切者ベデルグ・ティニンアラバルのことを」
「ベデルグ……ティニンアラバル。裏切者だって?」
「そうだ。ベデルグは我ら神龍族(ティニンアラフ)随一の戦士だった。
発端は今から五百年前、先代の族長の時代のことだ。
当時我ら一族の中に、どうにも手の付けようのない一体の鬼子がいた。
粗暴で愚かなその者は、力だけは誰よりも強く周囲の手を焼かせたが、ついに族長の命により一族をあげて捕縛し、名を奪われて追放されることとなった。
その者は遠く北の地で気ままに暮らしていたが、次第に手下を集め自分の王国を作り上げると、近隣や人間界にたびたび出向いては暴虐を繰り返すようになった。
族長はもはや野放しにできぬと、その後に生まれた最強の戦士であり自分の娘であるベデルグを伴い、討伐に向かったのだ。
いかにかの者が剛力を誇ろうと、族長とベデルグの力には及ばぬはず。だが結果は、族長は倒れベデルグは消息を絶った。
かの者も傷を負ったはずだが、その後も暴虐は止まず王国はますます強大となった。それが、百年前のことだ」
「では、裏切りとは……」
「たとえ族長が破れようとも、あいつなら独りでかの者を倒す力を持っていたはずだ。あの雌はそれほどまでに強かった。
にもかかわらず、ベデルグは与えられた任を捨て、逃げ去ったのだ。
その上あろうことか、かの者との間に子を成したとあっては。
これが裏切りでなくて何だ」
(なるほど、これは無理もないな)
ヴィーラグアは、アスザァリムに睨まれながら小さく息を吐いた。
(魔王も母も、やはり神龍族(ティニンアラフ)だった。しかも、どちらも最強と呼ばれていたと。
魔王の力はよく知っている。勇者であった俺が、命を捨ててやっと相打ちにできたほどの奴だ。
でもこの龍の話によれば、母はあいつよりも強かったらしい。それは少し笑えるが)
その母の血肉とゴウラは今、自分と共にある。そして魔王のそれもまた、自分の中に潜んでいるはず。
「かの者の血を残すわけにはいかぬ。貴様には罪も恨みもないが、それが一族の責務であり、族長を継ぐ我の務めだ。
だがその前に、ひとつだけ聞こう。貴様は、何を望む。世に生を受け、何を成そうと志す」
「母は、俺に言った。この世の王になれと、世界の全てを知れと。俺が望むのはただひとつ、母の命を果たすことだけだ」
「ならば、まずはこの我を打ち倒さねばならんな!
遠慮はいらぬ、持てる力の全てを放ち立ち向かってくるがいい! 我も全力を尽くそう、 それがせめてもの義だ!」
もはや問答無用。
アスザァリムは叫ぶと同時に、全身からゴウラを迸らせた。一瞬ののち、龍人はふたたび巨龍へと姿を変え、ヴィーラグアを見下ろす。
他の龍人たちはそのままの姿で後ろへ下がり、距離を取った。
どうやら誇り高き神龍は、一対一の決闘をお望みのようだ。それは好都合であるが。
「どうした、貴様もはやく変化しないか」
アスザァリムにうながされたものの、やり方が判らない。
人間の頃の記憶によって魔道の知識は取り戻していたが、さすがに変身術の記憶はなかった。
(仕方がない、見よう見まねでやってみるか)
ゴウラを沸き立たせ、龍の姿を想い描く。
体格は今よりも一回り大きい程度にしかなったことはないが、あれが真の姿とは、自分でも思っていない。
内にたぎるゴウラは、母のそれを合わせ、かつての自分をはるかに超える強大なものとなっていることを、もう知っているのだ。
精神を閉ざし、無意識のさらに奥底にある魂の泉に、自分自身を投げ込む。
自分と自分を一体とし、何者でもない自分になる。それから真っ白な水面に、あるべき姿を描くのだ。
自分は何者か。いかにあるべきか。
無意識の奥底から水面をめざし、そこに映る自分自身を突き抜けふたたび実界に身をおどらせた時、それは真の己となった。
「おお……」
取り囲む龍たちの間から、感嘆の声があがる。
その姿はアスザァリムと同じ、大きな翼を備えた巨龍のたたずまい。
体高も並ぶほどだが、闇よりも深い漆黒の装いが、周囲に無言の威を振りまく。
「ふん、まさしく我が知る、かの者の姿そのものだな。貴様の出自にもはや疑いの余地はない、我が全力をもって倒すべき敵手と認めよう。
では、参ろうぞ!」
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