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19.紅蓮姫
ヴィーラグアとドノドンは、来た道を引き返し、ふたたび種族の森を目指した。
とりあえず仲間の獣たちに状況を、というよりもまずは自分の出自が明らかになったことを報告し、それから今後の方針を相談する。
彼としては、森を巡り様々な種族と話し合いを進めて、戦争で混乱状態となっている種族社会の、復興の筋道を明らかにしたい。
それが当面の目標だ。
一方のドノドンはというと、既に状況は彼の理解をはるかに越え、いったい何が起きているのか、ヴィーラグアが世界を相手に何を始めようとしているのか、さっぱり分かっていない。
ただ、この龍について行けば面白いことになりそうだと、ひそかに心を躍らせている。
とは言え、懸念がないわけでもない。
それも先行きの不安などという漠然としたものではなく、実体を伴う脅威として、二体の背後に存在していたのだ。
「なあ、あれどうするんだ?」
森の中の小道を歩きながら、ドノドンが後ろを指差す。
ヴィーラグアは振り返りもせず、平然と応えた。
「放っといていいんじゃないか? 俺たちの邪魔さえしなければ、気にすることはないさ」
「邪魔どころじゃないだろ。お前を殺すって言ってんだぞ」
二体の後方、十マールほど離れて、深紅の龍人がついて来る。
すぐに襲ってくる様子はないが、隙をうかがうようにこちらをじっと睨みつけながら、無言の殺気を放っていた。
「さっきからもう、背中がムズムズしてたまらないんだよ。
なあ、いい加減なんとかしてくれよ。これじゃあ、お前よりも先に俺がまいっちゃうよ」
「ふう、仕方ないなあ」
ヴィーラグアが立ち止まると、ヤーゴートも脚を止める。
「おいお前、ちょっとこっちに来い。俺はどうでもいいが、そんな風に睨まれたらドノドンが迷惑だそうだ」
「ちょっ! お前、なんてこと言うんだよ!」
眼力だけで射殺しそうな視線をヴィーラグアに向けつつ、大股で近づいて来る。しかも、右手に長剣のようなゴウラの光をまとわせてだ。
その凶相に、ドノドンは悲鳴をあげて飛び退いた。
「ひいいっ! ごめんなさい、そんなつもりじゃないんです! 神龍様に歯向かおうだなんて、俺はこれっぽっちも!」
だがヤーゴートはそちらには眼もくれず、一直線にヴィーラグアに歩み寄ると、光剣を下から斬り上げた。
ヴィーラグアは軽くかわすと同時に、彼女が剣を返してふたたび斬り付けてくるよりも速く、頬面を張り飛ばす。
その一撃で近くの樹に叩きつけられたヤーゴートは、すぐに立ち上がろうとしたものの、次の瞬間には意識を失いその場に崩れ落ちていた。
あっけない勝負だったが、決してヤーゴートが非力なわけではない。
記憶を取り戻す前のヴィーラグアであったなら、これほど簡単に勝つことはかなわなかっただろう。
だが前世の記憶を取り戻した彼は、肉体もゴウラもその持てる力を存分に駆使することができるのだ。
今のヴィーラグアは、神龍のゴウラと勇者の技量を兼ね備えた、無敵の存在となっていた。
「ほら、なんとかしたぞ」
「なんとかじゃねーよ! どうすんだよこれ、余計ややこしくなっちまったじゃねーか!」
「大人しくさせるにはこれしかないんだから、仕方ないだろう」
「ああもう、わかったよ。じゃあ、今のうちに走って逃げようぜ」
「いや、眼を醒ますまで待つ」
「なんでだよ!」
「俺もこいつに用があるんだ。
まあいいさ、俺達もちょっと休憩しよう。何か食い物を取ってこようぜ」
「お前っ! ……はあぁ」
ガックリと肩を落とすドノドンを尻目に、ヴィーラグアは下生えをかき分けて森の奥へ入って行った。
―――※―――※―――※―――
山と積まれた木の実と、投石で仕留めた数羽の鳥。
獣は龍の気配に怯えて逃げ散ったのか、狩ることはかなわなかった。
ともあれ、森のごちそうを前にひたすら陽気なヴィーラグアと、気分の上がらないドノドン、そして悔しさで凶相をさらに歪めるヤーゴートの、三者による会食が始まる。
「さあ遠慮なく食え。肉がいいか? この木の実はドノドンのお勧めだぞ」
ヴィーラグアが林檎に似た赤い実を差し出すと、ヤーゴートは意外にも素直に受け取り、大きく口を開いて丸呑みにした。
「もう少し味わえよ」
「トゥアハは命の実だ。齧らずそのまま呑むのが私たちの作法だ」
「ほう、そういうものか。じゃあ俺も」
そう言って同じく丸呑みにする。ふとドノドンを見ると、齧りかけの赤い実を手に、泣き出しそうな顔をしていた。
「ほらあ、お前がいじめるからドノドンが困ってるぞ」
「私はいじめてなんかいない!」
「ちょ! 余計なこと言うなよ!」
声を荒げる二体を交互に見て、クックッと笑い声をもらす。
笑ながらふと、妙に浮わついている自分に気付いて、真顔になりかける。
(人間の記憶を取り戻したせいか、あるいはアスザァリムのゴウラを取り込んだ影響なのか、なにやら性格まで変わってしまったようだ。
いや、そうじゃない。もともと俺はこういう性分だ。人間だった頃も、陽気で楽天的だったはず……)
そうでなくなったのは、いつの頃だったか。
帝都に招聘され勇者の称号を得た時か。あるいは戦いに明け暮れる日々の中。
いや違う。聖道教団の手で強化施術を受け、生ける魔道兵器となってしまった時だ。
「お前を絶対に許さない。いつかきっと、兄の仇を討ってやる」
想いに沈む彼に向かって、凶悪な視線を投げてくる。
この神龍の娘を、ヴィーラグアはなぜか憎む気にはなれなかった。
「ああ、何度でも襲って来ていいぞ。その代わり、負けたらその度に一つ、俺の言うことを聞け。
お前はすでに二回負けてるんだから、まずは二つだぞ」
「くっ!」
悔しそうに、さらに顔を歪める。
「仕方ない、負けた以上は従おう。ならば私が勝った時は」
「お前が勝った時には、俺は死んじゃうだろ。裂くなり喰らうなり好きにすればいい」
「それは……そうだな」
やはりこの娘は憎めないな。ヴィーラグアはそう、密かに笑いをこらえる。
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