7.仲間か敵か

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7.仲間か敵か

 それから数日。  森へ籠り、時おり木に登っては南の空に警戒の眼を向けていたが、龍の姿はあれ以来一度も見かけることはなかった。  ヴィーラグアは、とりあえず飛ぶことをあきらめ、森の中で過ごすことにした。  山麓の滝に近い岩場を住処に選び、あちこちに出歩いては、獲物を狩りつつ探索に勤しむ。  そうやって、単に通り過ぎるのではなく落ち着いて観察してみると、それまで眼に入らなかった様々なことに気付くようになった。  まず、この森には思った以上に住者が多いことだ。  獣たちのほとんどは、こちらに気づくと逃げ去ってしまうため、視界に入ることは少ない。  だがやみくもに動かず意識を広げて気配を探れば、そこかしこに隠れているのがわかるし、集団で行動する者がいることも知った。  ヴィーラグアはその群に興味が湧き、どうにかして接触できないかと試みたが、すでに彼の異形と手当たり次第に襲いかかっては喰らいまくる行動は、森の獣の間では畏怖の対象となっており、近づくことすら困難だった。  それに、接触したからといってとくに用事や目的があるわけでもない。  勇んで追い回そうという気にもなれず、やや手持無沙汰ぎみに日々を過ごしていた。  そんなある日のこと。  滝壺の近くで魚捕りに興じている彼に、声をかける者があった。 「おい、お前」  それは黒い剛毛に身を包み、額から剣先のような衝角を生やした、二本足で立つ巨漢の獣だった。  一角熊と呼ばれる種族だが、もちろんそんな呼び名をヴィーラグアは知らない。  彼は初めて見る自分よりも大きな獣に、川の中から呆然と声をもらした。 「へえ」  だがその姿よりも、言葉を発していることへの驚きは、特になかった。  生まれてからずっと母との対話を続けてきた彼にとって、むしろ今まで出会った獣たちが誰ひとりとして言葉を理解しないことを、訝しんでいたくらいなのだ。 「なんだい、龍が暴れているというからどんな奴かと思ったら、こんなチビスケか。ハハッ。  まあいい、俺様の縄張りでずいぶんと好き勝手をしてくれたようじゃないか。この辺で少し痛い目を見せてやるから、覚悟しな」  ヴィーラグァは川から上がると、獣の正面に立った。  体高は、二脚で立つ彼よりもさらに大きい。母以外で、これほどの大型獣を見るのは初めてだ。 「おまえ、誰?」  獣は、物怖じしない龍に一瞬たじろぐ様子を見せたが、すぐに声を張り上げた。 「俺は、この森の主! ドノドン・バンバンだ!」 「そうか。我はヴィーラグア・ベデルガだ」 「どこから来た!」 「南の、炎の河が流れる岩場からだ」 「大地の裂け目か? あんな所に住んでる奴がいたのか」 「そうだ、我はそこで生まれた。そんなことよりも、お前は……」 「なんだ」 「仲間か? 敵か?」  ドノドンと名乗った一角熊は、無造作に放たれた言葉に、眼を見張った。  ヴィーラグアはそれを、感情のこもらない眼で見つめ返す。  しばしの睨み合いの後、ドノドンは右手を振り上げた。 「敵だよ!」  声と同時に炸裂した一撃はヴィーラグアの巨体を軽々と打ち飛ばし、近くの大岩に叩き付けた。  衝撃で一瞬気を失いそうになったものの、なんとか立ち上がり頭を振る。  そこへ間髪入れず、ドノドンが追撃を仕掛けてきた。  ヴィーラグアはふたたび襲い来る殴撃を左肢ではね退け、正面から頭突きを喰らわそうとする。  ドノドンは待ってましたとばかりに額の角を突き出し、必殺の構えで迎え撃つ。  だがヴィーラグアは、躊躇することなく己の額を相手の頭に打ち付けた。  骨の砕ける鈍い音とともに、二体の獣が正面からぶつかり合う。  金剛石の硬さを誇る漆黒の衝角は、確かに龍の頭蓋を突き破った。  だが弾き飛ばされたのは、一角熊の方だった。 「ぐは……っ」  先ほどとは逆に、ドノドンの巨体が岩場に転がる。  それを見下ろすヴィーラグアの額は大きく割れ、大量の血が溢れ落ちていた。 「痛いな」  ヴィーラグアは額に手をやると、そこに突き刺さっている角を引き抜いた。  とたんに新たな鮮血が噴き出し、視界を赤く染める。 「ああ、頭がクラクラする。おいお前、大丈夫か」  傷は深く、間違いなく脳にまで達しているはずだが、ヴィーラグアは大した痛手でもない様子で額に手を当て、傷口にゴウラを集中させた。  銀白色のほのかな光が溢れ出すとともに、傷は見る見る小さくなっていく。  一方のドノドンは、根元から折れた角の跡も痛々しく、同じように額から大量の血を流しながら、大の字になって気を失っている。 「おい、起きろ」  ヴィーラグアは、ドノドンの角を手にしたまま、腹を蹴飛ばした。 「うう……」  痛みは感じているのだろうか。  うめき声は漏らすものの、意識が戻る気配はない。  なおも小突くように二・三度蹴りつけると、ドノドンはようやく眼を覚まし、頭を振りながら上体を起こした。 「うう……くそっ」 「ほら、返すぞ」  草の上に転がったものを見たドノドンは、慌てて額に手をやった。 「あっ! まさか、お、俺の角!  ああっ! ない! ない! 俺様の角がないっ! うわあーっ!」  狂ったように頭をかきむしりながら、絶望的な悲鳴をあげる。  ヴィーラグアはその無様な姿を見降ろし、もう一度「おい」と声をかけた。 「ひっ」  ドノドンは額に手を当てたまま、上目づかいに彼を見る。 「さて、我はお前に勝ったということでいいんだよな。じゃあ喰らってもいいか?  肉は硬そうだけど、お前のゴウラはどんな味がするのか、とても興味がある」 「ひいいっ! ま、待ってくれ。わかった、俺の負けだ。降参する、降参するから、どうか喰らわないでくれええっ!」  這いつくばってわめき散らすドノドンに、ヴィーラグアはクスリと笑う。  もとより、本気で喰らおうなどと思ってはいないのだ。その気があるなら、とっくに襲いかかっている。  そう考えながらも、相手のあまりの慌てぶりをみているうちに、少し悪戯心が湧いてきた。 「そう言われても、我は今まで捕えた獲物は全部喰らってきたんだ。骨も残さずにな」 「わっ、悪かった! 謝る! 許してくれるなら言うことを何でも聞く、お前の子分になるから!」 「あー、わかったわかった。我も話し相手が欲しかったんだ、赦してやるよ」 「ほっ、ほんとか? ありがとう! ありがとう!」 「ところで、ひとつ聞いてもいいか?」 「ああ、なんでも聞いてくれ。俺はもうあんたの子分だ」 「それだよ、子分ってなんだ?」 「へ? 子分は……子分だけど……」  ドノドンがその言葉を発した時、声と同時に彼の意識を読もうとした。  母と会話していた頃は、この方法によって初めて聞く言葉でも意味を知ることができたのだ。  でもドノドンの意識は、母ほどはっきりと読み取ることができない。  まるで伝わらないわけではないのだが、霧の中の影を見るように、漠然とした意識の輪郭しか判別できない。  子分という言葉も、先ほどまで放たれていた敵意とは真逆の穏やかさが感じられる、といった程度だ。 「仲間とは違うのか?」 「仲間? ああ仲間だ仲間だ! そうだ、俺はお前の仲間だよ!」  口から泡を飛ばし、必死の形相で訴えかけてくる。  なんだろう、たかが一撃を喰らった程度で、これほどまでに弱気になるものだろうか。  そういぶかしむヴィーラグアは、気付いていなかったのだ。  自分が、額を打ち付けると同時に、無意識のうちに重槍のごときゴウラの一撃を放ち、ドノドンの精神を刺し貫いていたことを。
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