参 『さようなら』

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「——聞いているんですか、公爵! これは賠償問題だけでは済みませんよ。裁判を起こし、その竜を殺処分に…」 「…子ども達はヴィレンが懲らしめた。となれば、俺はその保護者達を懲らしめればいいわけだな…?」  振り返るディートリヒに殺気の籠った目で睨まれたオルク伯爵は、ヒュッと心臓が縮む。  途端に彼の足元からパキパキと音を鳴らして氷が駆け上がってきた。あっという間に氷はオルク伯爵の首元まで登り、そして口元を塞ぐ。身動きどころか、呼吸もままならない。 「子供の責任は、親の責任だものな…」  初夏の季節、あんなに青々としていた空が鈍色へと変わり暗雲が広がっていく。そして、ポツポツと何かが公爵邸の庭園に降り注いだ。 「……あ、雨…?」  ヴァイスローズ公爵が空を見上げて呟く。  どんよりと暗くなった空には分厚い積乱雲が鎮座している。目を細めて見ると、雲の奥では雷が激しく駆け回っていた。 「痛っ…」  パーティー参列者の他の貴族が小さく叫ぶ。雨が降っているのかと思ったが、これは…。 「…(ひょう)だ…」  ヴァイスローズ公爵は青い顔で叫んだ。 「雹が降っている! 皆、防御膜を張れ!」  貴族たちが慌てながらも協力し合い空に向けてドーム型の防御膜を張ろうとする頃には、小石ほどの大きさだった雹が大人の拳ほどの大きさになりこの薔薇園に降り注いでいた。 「クラウベルク公爵!」  ヴァイスローズ公爵は元凶の男に叫ぶ。 「この雹を止めてくれ!」  その頃には雹も形を変えて人の腕ほどの氷柱になっていた。数人がかりで張られた防御膜に氷柱が突き刺さりビシビシとヒビが入っていく…。  もう、これは自然災害の域を超えている。ここは戦場なのかと思うほど…まるで、降り注ぐ無数の氷の矢だ。 「ディートリヒ!!」  余裕のないヴァイスローズ公爵は懇願する気持ちで叫び続けていた。  ディートリヒの青紫色の目が彼を見る。ついに防御膜を突き破った氷柱がヴァイスローズ公爵の足元に突き刺さった。 「っ…!!」 (もう、めちゃくちゃだ…何もかも!)  ヴァイスローズ公爵は愕然とした面持ちで、今自分の目の前に広がる絶望的な光景を眺めていた。  空を埋め尽くす黒い積乱雲、割れていく防御膜、泣き叫ぶ子供達、焼き尽くされた薔薇園、雹でズタズタになっていく庭園…。  公爵が恐れから思わず一歩後退した時、「お父様」とルクレツィアがディートリヒを呼ぶ。 「私のために怒ってくれてありがとうございます…でも、このままじゃ皆さんが怪我をしてしまいます」 「しかし! ルクレツィア…お前がこんな怪我をして、俺は…!」  怒りの余り血走った目で娘を見つめ、苦しそうに顔を歪めて反論するディートリヒに、ルクレツィアはもう一度「お父様」と呼ぶ。  ディートリヒは悩んだ末に仕方なく、魔法を解いた。すると積乱雲は霧散していき、再び輝く太陽が顔を見せる。雹が、止んだのだ。  ヴァイスローズ公爵はホッと安堵した。他の貴族や子供達は怯えて、この場に皇族(ユーリ)もいる理由からディートリヒがこれでも手を抜いているのだとは知らずに、偉大なる魔術師の力の片鱗を実体験し恐怖していた。 「…ヴァイスローズ公爵」  ディートリヒに名を呼ばれた公爵はドキリと心臓を凍り付かせて彼を見る。そこには、ルクレツィアを大事そうに抱きかかえるディートリヒの姿があった。 「…俺の娘を泣かせたら、ただじゃおかない…」  そしてギロリと、主犯格であろうエリーチカを睨み付けるディートリヒ。エリーチカはあまりの恐ろしさに泣き出して、父のヴァイスローズ公爵が娘を守ろうとエリーチカの元へ走った。 「クラウベルク公爵! わ、私の娘に…何のせ責任があるとい言うんだ!」  先ほどのこともあり口が震えて上手く話せない。怯える表情を見せるヴァイスローズ公爵だが、それでも勇敢にディートリヒへ異議を申し立てる。彼もまた、帝国の優秀な魔術師の一人なのだ。ディートリヒには遠く及ばないが…。
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