参 『さようなら』

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 エリーチカは父親の腕の中で危機を脱したことに心底安堵していた。下手をすれば、自分が処罰されていたのだ。 (オルク伯爵令嬢、最後にやっと役立ったわ…何の得にもならない、しがない伯爵令嬢を今まで私の側においてあげていた甲斐があるってものね。それにしても…)  エリーチカはヴィレンとディートリヒに囲まれるルクレツィアに目を向ける。 (あの化け物と父親がいる限り、あの女は…)  もう誰も、ルクレツィア・クラウベルクを馬鹿になんて出来ない。  彼女は今、最強の矛と盾を手にしているのだから。それを今日、エリーチカを始めとする帝国の人々は思い知ったのだ。  偉大なる魔術師である父、そして最強種と謳われる竜族の少年。ルクレツィアは、彼らで、武装していると言っても過言ではない…。  一瞬で楽園を地獄と化したヴィレン。そして一瞬でこの場に氷矢を降らせて恐怖で支配してみせたディートリヒ。  敵うはずがない。ルクレツィアに手を出せば、あの地獄と恐怖が自分たちに牙を向くのだ。  今まで、魔法で散々ルクレツィアを虐めてきたからこそ…エリーチカや他の子どもたちは彼女に屈するしか無かった。 (悔しいっ…なんで私が、あんな無能なんかに…!)  エリーチカが悔しさで涙ぐんでいた時、ユーリがこちらに向かって歩いてきている姿が見えた。  エリーチカは顔を明るくさせる。きっと自分のことを心配してくれているのだ。 (今の私は明らかに被害者だもの!)  自分を心配するユーリに何て返事を返そうかと、心をときめかせながらユーリを待っていたら…。  ユーリはエリーチカの横を通り過ぎてルクレツィアの元へと向かった。 (……は…?)  エリーチカは目を疑う。 「ルクレツィア嬢、大丈夫?」  そう言って、まるで自分が傷付いたかのような顔をしてルクレツィアを気にかけるユーリに怒りが湧いてくる。 (この私を差し置いて、あの女を気にかけるの?)  こっちを見もしないじゃないか。 「…こんなことが…酷いね」  ユーリはルクレツィアの腕の痣を見て痛ましそうに顔を歪めた。  ルクレツィアが平気です。と、答えるとユーリは少し悲しそうに笑う。 (ヴィレンには泣きついたくせに、僕には何も言ってくれないんだね…)  そんな気持ちをぐっと飲み込んで、ユーリは言った。 「この帝国の皇太子として、今回の件を重く受け止めるよ。僕からヴァイスローズ公女にはしっかりと注意しておくから」 「……は、はい…」  ユーリの言葉にルクレツィアは目を丸くしながら返事した。 (ユーリ殿下…何か、変わった…?)  ルクレツィアがユーリの中の小さな変化に気付いた時…。 「ユーリ殿下!」  怒りから、ディートリヒへの恐怖も忘れて目を吊り上げたエリーチカが叫ぶ。そして、父親の制止も聞かずに腕の中から飛び出してはユーリに詰め寄った。 「私に注意って…どういう事ですか!?」  そんな嫌な印象を付けられたら困る。まるで自分がルクレツィアを虐めた主犯格みたいな言い方…将来、皇太子妃になる時の傷となる。 「…だってそうでしょう? オルク伯爵令嬢は貴女の友人なのだし、公爵令嬢の立場でありながら制御出来なかったのは貴女でしょう?」  ユーリの冷ややかな目。エリーチカはユーリがこんな冷たい顔をするなんて今まで知らなかった。  いつも温かく笑っていて、穏やかなお人柄だから…。 「わ、私だって被害者ですわ! ほら!」  エリーチカは手の甲に負った小さな火傷をユーリに見せる。ユーリは呆れたように息を吐いた。 「…はぁ、貴女と話すのは疲れる。僕は今、誰が被害者だって話をしているんじゃなくて、人の上に立つ者としての責任について話しているんだ」  その瞬間、エリーチカは顔を赤くさせた。恥を、かいたのだ。
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