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「も、もちろん私は公爵令嬢としての教養と立ち振る舞いを心得ています。皇太子妃としての資格だって…」
「皇太子妃?」
ユーリは目を丸くした。
「誰がそんな話を…もしかして皇帝陛下が?」
「い、いいえ。そうではありませんが…」
つい野望が口に出てしまったと目を泳がせるエリーチカに、ユーリは安堵した表情だった。心底良かった、という表情。
「悪いけれど…ヴァイスローズ公女に変な期待を持たせるのは可哀想だから、今はっきりと伝えるね」
エリーチカはポカンとした顔でユーリを見つめた。
子ども達を煽動してルクレツィアを虐めたエリーチカ。オルク令嬢を簡単に切り捨てたエリーチカ。更には被害者ぶるエリーチカ…。なんて、自分勝手で浅ましい人なんだ。
ユーリは自分の中に沸々と感じるエリーチカへの怒りを何とか抑えて、笑顔の中に隠しながら言った。
「僕が貴女を選ぶことはないよ」
じわり。と、エリーチカの目に涙が浮かぶ。
「な、なぜ…」
呟くような彼女の問い掛けに、ユーリの瞳はより一層冷ややかとなった。まるで、嫌悪するような…害虫でも眺めているような…そんな瞳。
でも、ユーリは『優しい』少年だから、そんなエリーチカにも優しく笑って教えてあげるのだ。
「僕は、性格の悪い子が嫌いなんだ」
そう言って微笑むユーリに対して、エリーチカの顔からは表情が抜け落ちていたのだった。
「ルクレツィア嬢、風邪を引かないように…お大事にね」
ユーリに盛大に振られたエリーチカが自室に引き籠ったことでお開きとなったガーデンパーティー。
ディートリヒに抱かれて帰りの馬車へ向かうルクレツィアをユーリは見送っていた。
「それにしても散々なパーティーだったな」
ヴィレンが最後のエリーチカの姿を思い出してククク、と笑いながら今日の感想を述べていた。
ユーリは苦しそうに目を伏せてから、そして何かを決意したようにルクレツィアを見つめる。
「ルクレツィア嬢、今までごめんね」
ルクレツィアは驚いた顔で彼を見た。ディートリヒとヴィレンも。
「僕は…きっと優しい自分に酔っていたんだと思う。貴女の本当の苦しみに目も向けず、上辺だけの優しい自分に…」
そこで言葉を切ってから、ユーリは深呼吸をひとつする。
「…きっと僕も、貴女から見れば今日の公女達と何ら変わりはなかったんだろうって、気付いたんだ」
「ユーリ殿下…」
ルクレツィアの心の中の棘がひとつ、溶けていくような気がした。
「僕、きっと変わってみせるから。人の心に寄り添える皇帝になってみせるから、見てて」
これはユーリの決意だ。ルクレツィアに寄り添える人になりたいと、純粋な少年の思いがさせた決意。
「…はい。応援しています」
ルクレツィアは微笑む。ユーリはその笑顔を見て、少しだけ悲しくなった。
(そうじゃないよ、僕の見たい笑顔は…そんな、作った綺麗な笑顔なんかじゃなくて…)
いつもヴィレンに向けている、屈託ない笑顔が見たいのに。
(…いや、だめだ。欲をかいたら駄目だ。ゆっくりでいい。僕たちにはこれからも時間があるんだから——)
「何はともあれ…これで北の領地に帰れるな」
「そうですね、楽しみです!」
ディートリヒとルクレツィアの会話にユーリは耳を疑った。
「…もしかして帝都を出るの?」
「はい…お父様とヴィレンと共に北の領地に行きます」
ショックだった。まさか、ルクレツィアと離れることになるなんて…。
「そ、そうなんだね…」
でも…と、ユーリは前を向く。
ルクレツィアが帝都に帰ってくる日までに自分が立派になっていればいい。
きっとまたすぐに会える、だから…。
『またね。』
「ま——」
「ユーリ殿下、今までありがとうございました」
ルクレツィアはとても幸せそうに笑いながらユーリに言ったのだった。
「お元気で。さようなら」
(…あぁ。別れの言葉とともに、君は僕に初めて屈託なく笑いかけてくれるんだね…)
ユーリの目から、ぽつりと涙がこぼれ落ちた。
—参 『さようなら』・終—
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