参 『さようなら』

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 *** 「おい…見ろよ。アイツが噂の耳長(みみなが)だろ?」  ここは、マルドゥセル魔導帝国の西部国境沿いにある防衛前線本局部。  ディートリヒ・ヴィル・クラウベルク公爵直轄部隊に所属する証としてクラウベルク家の紋章が入った黒い軍服を身に纏う一人の青年を指差して、帝国の兵士達が何やらヒソヒソと話していた。 「あぁ…生まれた時に母親の腹を破って出てきたってな」 「化け物かよ。だからあんなに魔獣どもを躊躇いなく惨殺できるんだろうな」 「あれでまだ17歳なんだろ? 先が思いやられる…」 「アイツが通った道はとてもじゃねぇが、まるで地獄のようだぜ。魔獣の屍で道が出来るんだ」 「うげぇ…」  その長い耳の特性上、彼には兵士達の話の内容が聞こえていたが聞こえない振りをした。 「グリム」  彼の名を呼ぶ者がいた。同じ部隊の隊長イクスだ。 「大丈夫か?」 「何がです?」  イクスは後ろで噂話をする帝国の兵士達にチラリと目を向ける。するとグリムは鼻で笑って「いつものことです」と、冷たく言った。 「周りが何と言おうと、俺たちはお前の事を認めている」  真っ直ぐと自分を見つめながら言うイクスにグリムは思わず面食らうが、その後は少し照れくさそうに小さく笑っていた。 「ところで、次の作戦は?」  イクスが自分の事を気遣って話しかけてきただけではない事を知っているグリムは、魔獣討伐の次の作戦があるのだろうと思いそう尋ねた。 「その事なんだがな…グリム。俺たちはこの前線から引き上げるぞ」 「え……そ、それって…!」  冷めた表情だったグリムの顔がパッと明るくなる。それは、年相応な青年の笑顔だった。 「あぁ、やっと帰れるぞ。俺たちの北の領地に!」  イクスの言葉にグリムの胸に喜びの感情が募っていく。 (やっと…僕はやっと、ディートリヒ様の元に帰れるんだ!)  彼の名はグリム・ベガ。まるで北部の領地に広がる雪景色のように美しい銀髪と、血のように真っ赤な瞳のダークエルフの青年だ。  数年前、彼はディートリヒに拾われ、そして魔塔で育てられた。 (今度こそ、きっと。僕の忠誠をディートリヒ様に受け取ってもらうんだ…!)  成長した彼は、ディートリヒの忠臣となる事だけを夢見て、彼の軍隊に所属している。  早く功績を上げて、ディートリヒに早く認められたい。その気持ちだけで、グリムは自分の命を手放すことなくここまで生きてこられたのだ。 「そして、ずっと帝都にいらっしゃったディートリヒ様のご息女も…この度、北の領地に帰って来られるらしい」 (…ご息女様?)  グリムは昔、ディートリヒに一人娘がいるのだという話を聞いた事があった。  何でも魔法を使えない魔力なし(ノーマン)なのだとか。 「…へぇ。でも、それ、僕に関係あります?」  グリムはディートリヒの娘がノーマンだろうが何だろうが、この帝国の兵士達のように差別する気にはならない。正直なところ、そこまでの興味がその娘にないからだ。 「全くお前は…とことん冷めた奴だな」  イクスは呆れた顔で笑って「だからと言って、ルクレツィア様に無礼を働くんじゃないぞ」と、グリムに釘を指しておいた。 「とにかく、部隊全員で帰還するには大所帯すぎるから部隊を分けて帰還命令を出す。申し送りもあるしな。ま、それは後続部隊を率いる副隊長に任せるとして…」  イクスはグリムに改めて目を向ける。 「お前は俺と一緒に第一陣部隊として帰還する。出発は明日の早朝に…」 「イクス隊長」  グリムがイクスの言葉を遮って言った。 「今夜の内に出発しましょう」 「…馬は夜目も利くが…いや、しかし夜は魔獣が…」  躊躇う様子のイクスに対し、グリムが突然魔法を使って召喚獣を召喚する。 「滑走馬(スレイプニル)なら大丈夫でしょう?」  召喚された金のたてがみの巨体な軍馬に、周りにいた帝国の兵士達が驚きでどよめいていた。 「僕のスレイプニルは8匹いますから…数も十分ですよね?」 「…お前なぁ…」  イクスは渋い顔をして頭を掻いた後、仕方ない…と諦めて姿勢を正し隊長として命じた。 「ベガ隊員! 今夜、第一陣部隊よりこの防衛前線を撤退し帰還する。十分に準備をしておくように!」 「はっ!」  グリムは張り切った様子で、イクスへ敬礼したのだった。  —参の隙間話・終—
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