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列車の旅はまだ続く。目的地への到着は明日の朝方らしい。
ルクレツィアはディートリヒの手を掴んでから、ヴィレンと眺めた展望室から見える景色が凄いのだと話して聞かせた。
「俺も見てみたいな。ルクレツィア、付き合ってくれるか?」
「うん!」
彼らは再び展望室に訪れて、室内の壁一面に広がる大自然を眺めた。
「ほら、見てくださいお父様! この森の先には街があるみたい」
一生懸命につま先立ちで窓の向こうを指差すルクレツィアを、ディートリヒは抱き上げる。
「こうした方がよく見えないか?」
「うん! お父様、ありがとうございます」
愛娘との観光を楽しむディートリヒに水を差す者が一人…。ちょいちょい、と服の端を引っ張るヴィレンだった。
「なんだ、ヴィレン」
「ディートリヒ、俺も!」
抱き上げろ、と言わんばかりにこちらを見上げて両手を広げるヴィレンにディートリヒは困惑した。
「…いつもみたいに竜になって、勝手に上がってくればいいだろう?」
「別にいいだろ、このままでも」
生意気にも言い返してくるヴィレンに、ディートリヒは仕方ない…と、息を吐きながらルクレツィアと同様にヴィレンを抱き上げてやった。
両腕にそれぞれルクレツィアとヴィレンを抱えるディートリヒ。何となく…自分の子供が一人増えた気分で複雑な心境になる。
(それにしてもヴィレンのやつ…あの茶会以来、あまり竜になりたがらなくなったな…)
前はあれだけ『楽だから』と竜の姿でルクレツィアに抱えられていたくせに…と、ヴィレンの心境の変化を不思議に思いながらディートリヒはヴィレンに目を向ける。
ヴィレンの横顔はとても楽しそうに、ルクレツィアと窓の外を指差し合いながら笑っていた。
(…まぁ、いいか)
どうやら自分もヴィレンに絆されてしまった一人らしい。ルクレツィアもこんなに喜んでいるのだから、水を差すのはやめようと思うディートリヒ。
『貴女はこれから、覚悟した方がいいわよ』
ヴァレリアの、ルクレツィアに向けて言った言葉を思い出す。
『竜はね、この世で一番強欲な生き物なの。欲しいものは必ず、徹底的に全てを手に入れる』
ディートリヒはこの言葉を聞いた時、思ったのだ。
(きっと、覚悟しなければならないのはルクレツィアよりも俺の方だ…)
もしそんな日が来た時は…いや、来ないでくれ。ディートリヒがいくらそう願っても、全てはルクレツィア次第なのだ。
『——それで、お前の望むものはなんだ?』
かつて、ディートリヒがヴィレンに尋ねたこと。
そして竜は答えた。
『俺の望みはルクレツィア・クラウベルクだ』
(竜は世界で一番の強欲者…。まさか、あの言葉が…ルクレツィア自身でなく人生そのものを指す言葉だったとはな…)
ルクレツィアと結ばれたいとか、そんな単純な望みではなかったのだ。
正直、後悔はしている。しかし、ヴィレンが居ないとルクレツィアを救ってやれなかったことも事実。
ディートリヒはルクレツィアを見つめた。
(この可愛い笑顔も、こうして眺めていられなかっただろう…)
いつかヴィレンはルクレツィアを自分の元から連れ去ってしまうのかもしれない。…そうならないよう願うばかりだ。
だからディートリヒは、今、娘と過ごすこの瞬間を、一つひとつ大切にしていこうと…心からそう思ったのだった。
—肆 帰還列車の旅・終—
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