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『—————』
気付くとルクレツィアは知らない部屋の中に立っていた。
(ここ、どこ…?)
さっきまで自分の腕を掴んでいた手は一体何だったのだろうか?
あの暗闇の中へと引き摺り込まれて、どうやってここまで辿り着いたのか…覚えていない。ルクレツィアは懸命に思い出そうとするのだが、頭が警告を鳴らすようにズキズキと痛むだけだった。
(何か大切なことを、忘れている気がする…)
不安な気持ちから、ルクレツィアはディートリヒとヴィレンに今すぐ会いたくなった。でも、自分が今何処にいるのかは、分からない…。
「帰らなきゃ…」
そう呟きながら改めて周りを観察するように頭を左右に動かした。
部屋にある窓は全部で二つ。壁の一面をくり抜いたように大きな窓から見える景色は、たくさんの雪山と空が広がっていた。
(二つとも同じ景色が見える…。でも、こっちは朝の景色で、こっちは夜の景色だ)
とても不思議でルクレツィアはもっとよく窓の景色を見ていたかったが、そういう訳にもいかない。
気を取り直して、今度は室内に目を向けた。
室内の真ん中にはアンティーク調の横長い机があり、一脚の背もたれのある椅子に、机の上や椅子の足元に分厚い本が何冊も山積みになっている。
何度も読み直した痕がある本…どうやらこの部屋の主は整理整頓が不得意な勤勉家のようだ。
部屋の端の一画にはこれまた沢山の本が詰まった大きな本棚があって、その横にはルクレツィアが今まで見たこともない姿をした動物の骨の模型があった。
机の上に開かれたままの本を見れば、ルクレツィアの知らない言語がびっちりと並んでおり、挿絵は何かの動物の絵柄だ。どんな内容の書物なのか、全く検討もつかない。
高い天井からはシャンデリアの代わりに、発光する球体がぶら下がっている。他にも幾つもの時計が壁に掛かっており、どれも時間がバラバラだ。
(一体ここは何の部屋なの?)
皆目見当もつかないルクレツィアが頭を悩ませながら、何か手がかりはないかと部屋を見回っていたら…ガチャ、と部屋の奥にある扉が開いた。
驚いてそちらを振り返るルクレツィア。
扉から入ってきた人物も、ルクレツィアの姿を見つけるととても驚いたような顔をして、すぐに険しい表情を浮かべる。
「…君、だれ?」
その人…男が尋ねてきた。
「ここで一体何をしてるの?」
「あの、私も気付いたらここにいて…」
質問に答えながら見れば、その男はルクレツィアよりも幾つか年上の若い美男子で、褐色の肌に雪原のように美しい少し長めの銀髪。そして、色の濃い赤い瞳が印象的だった。
しかし、ルクレツィアの目に入ったものはまず、彼の耳だった。ツンと尖った長い耳。
「…貴方、人間じゃないの?」
ルクレツィアが恐るおそる尋ねると、その青年の赤い瞳が冷気を含んで細められる。
「そういう君は、本当に人間なの?」
と、そんな質問を返されて戸惑うルクレツィア。
「……気分を害したならごめんなさい。私はルクレツィアって言うの、あなたは?」
「…僕はグリム」
グリムと名乗った彼の元へ、ルクレツィアは小走りで近寄った。目の前に立ち見上げれば、グリムは眉を顰めながらルクレツィアを見下ろしている。
「グリム、助けて欲しいの。私、イスラーク城に帰りたくて…ここが何処だか教えてくれない?」
ルクレツィアが困った表情を浮かべれば、グリムは幼い子供に慣れていないのか少し戸惑う様子を見せた。
「…やっぱり君、ディートリヒ様のご息女様なんだね」
「え? お父様を知ってるの?」
目を丸くして驚くルクレツィアに、グリムは膝を折って目線を合わせると、彼女の全ての疑問の答えを教えてあげたのだった。
「知ってるも何も、僕は『雪銀の魔兵団』に所属している魔術師だ。そしてここはイスラークにある魔塔の中の、僕の自室」
なんと、氷の扉を通って出た先は魔塔だったようだ。しかし、何故グリムの自室に繋がっていたのか…。
「城まで送ってあげるよ、付いてきて。君…じゃなくて、ルクレツィア、様?」
外目から見た雰囲気だと、グリムはあまり他人に関心が無さそうだが、親切な人物らしい。
ルクレツィアはホッと安堵すると頷き、そして扉に向かうグリムを追いかけて、彼と手を繋いだのだった。
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