壱 父と娘

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「ヴィレン、だ」 「…はい?」 「俺の名前」  黒竜…いや、ヴィレンは無愛想な表情でルクレツィアに名乗った。艶やかな黒髪に黒い瞳、左目の下に黒子が二つ並んでいるのが特徴的だ。彼は顔立ちの整ったとても綺麗な少年だった。 「あ…私はルクレツィアよ」  ルクレツィアは戸惑いながら自身も名乗ると、ヴィレンは「そうか」と短く返す。 「手当てしてくれるんだろ? 中に入るぞ」 「………」  何故急に手当を受ける気になったのか分からないが、ヴィレンは偉そうな態度でそう言ってルクレツィアの自室の中へと入っていってしまった。  ポカンと呆けるルクレツィアだったが、ハッと我に返ると慌ててヴィレンの後を追い部屋に入ったのだった。  ベランダから部屋に入るとヴィレンがすぐ目の前に立っていた。どうしたのだろう、と彼の様子を伺うと、ヴィレンは物珍しそうな顔で部屋の中を見渡している。 (人間の部屋が珍しいからなのでしょうけど…部屋の中をそうまじまじと見られるのも恥ずかしいわね…)  ルクレツィアは恥ずかしい気持ちからコホンとひとつ咳払いしてヴィレンに声を掛けた。 「その椅子に座って」  ルクレツィアは椅子を指差しながら指示して、桶とタオルを取りに自室の備え付けのシャワールームへと向かった。  水の入った桶を抱えて部屋に戻ると、ヴィレンはちゃんと指示された椅子に座っていた。素直だ。  次に引き出しの中から消毒液やガーゼを取り出す。小さな傷を処置してくれる人はこの屋敷に居ないので、ルクレツィアは今まで自分で怪我の処置をしてきた。だから手当てはお手のもの。  水に濡らしたタオルでヴィレンの傷を刺激しないように優しく血を拭った。次に消毒液を湿らせたガーゼを傷口に押し当てると、沁みるのかヴィレンが眉頭を寄せていた。 「手当てといっても簡単なことしか出来ないけど…」  ヴィレンの傷は血が出ている割には大した傷では無かったみたいでルクレツィアは安堵する。  最後に清潔なガーゼで傷を塞いでからルクレツィアが満足そうに「よし」と呟くと、ヴィレンはまたもや珍しそうな顔でガーゼを眺めていた。 「…他にもう傷はない?」  ルクレツィアが尋ねると「ない」と短く答えるヴィレン。  ルクレツィアは良かったと思う反面、少しだけ寂しい気持ちになる。傷の手当てが終われば、ヴィレンはどこかへ行ってしまうだろうから…。  自分をノーマンだと蔑む目を向けないでいてくれるヴィレンに、ルクレツィアは少しだけ救われていた。まるで自分にも価値があるように思えたのだ。  ヴィレンは部屋を出ようと立ち上がり、ベランダのドアに手を掛ける。 「あ……さようなら」  ルクレツィアは少しだけ悲しく思いながらも、笑顔を作ってヴィレンの後ろ姿に手を振ると彼が振り返った。 「…やっぱり、疲れたし少し休んでから行く」  そう言ってヴィレンはルクレツィアのベッドに遠慮なく大の字で寝転ぶ。  私のベッド…と思いながらも、ルクレツィアは嬉しく思った。
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