伍 イスラーク城と氷の扉

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 このままニックへの報復が続くのかと思われたが、ヴィレンはすぐに振り返り俯いているルクレツィアの元へと向かう。  そして、ルクレツィアと目線を合わせるように屈むと、彼女の両頬を両手で挟むように掴んで上を向かせた。 「俺が隣にいる限り、お前はもう下なんて見るな!」  こちらを覗き込んでくるヴィレンと目が合う。 「お前はお前のままでいいんだ!」  傷付いた表情を浮かべていたルクレツィアだったが、ヴィレンにそう言われた瞬間、ハッとした顔をした。 「堂々と前を向いてればいい! 嗤う奴がいれば、俺がこうやってこらしめてやるから」  まん丸に開かれたルクレツィアの瞳の中には、ニカッと頼もしく笑う一人の男の子が映っている。 「だから、俺を信じてさ…顔を上げて笑ってろ、ルーシー!」  ルクレツィアの目の奥が熱くなる。今しがた『笑っていろ』と言われたのに…涙がこぼれないようにぐっと目に力を入れて笑って見せる。そんな彼女に、ヴィレンは嬉しそうに微笑んだ。 「もしさ、前を向くのが怖くなったら、その時は俺を見ていればいい」  と、キザな台詞を恥ずかしげもなく堂々と自信満々に言うヴィレンに、ルクレツィアは思わず声を上げて笑ってしまった。  不思議だ。ヴィレンがそう言ってくれたら、ルクレツィアの中の悲しい気持ちが一気に晴れていくのだから。  ルクレツィアは無意識に魔法を使えない自身の事を恥ずかしく思っていたのだろう。だから『ノーマン』の言葉に強く反応し、周りの目に怯え、その度に下を向いていた。 (私は、私のままでいいんだ…)  だってこんな自分を認めてくれる人が一人でもいる、それが真実なのだから。  そう思うと、ルクレツィアは何だか呪いが解けたように清々しい気分になった。彼女が下を向くことは、もうないだろう。 (…これはヴィレンにしか使えない魔法だ…)  ルクレツィアは思った。 (私がいくら悲しんでいても、あっという間に笑顔に変えてしまう魔法…)  ディートリヒと話し合えと背中を押してくれた時、皇宮でアネッサ皇后から庇って味方してくれた時、エリーチカに本気で怒り助けに来てくれた時。  今もこうして、自分のために怒ってくれている。  この竜の少年はずっと自分に寄り添って、思い遣ってくれたルクレツィアの大切な友人…それとも…? 「うん…これからもずっと、ヴィレンだけ見てる…!」  その言葉にどんな意味が含まれるのかなんて、まだ子供のルクレツィアには正しく理解出来てはいないけれど、素直にそう思ったから笑顔と共にヴィレンに伝えた。  すると途端にヴィレンの顔が赤くなって…どうやら彼はこの言葉の意味を正しく理解しているようである。  魔術師達の完全なる戦意喪失な様子を感じ取ったグリムが、ヴィレンを注視しながらゆっくりと近付いてきた。それに気付いたヴィレンが威嚇するように、グルグルと喉を鳴らして呻き声を上げる。 「…僕に敵意はない」  グリムは緊張しながらヴィレンに言った。 「現れた奴が突然襲い掛かってきたら、君だって応戦するでしょ?」  ごもっともなグリムの正論に、ヴィレンが思わず口を噤む中、グリムはルクレツィアに手を伸ばして何かを手渡した。 「とりあえず、僕が今持っている解毒剤だ。早くこれを飲んで…顔色が悪いよ」  グリムの言葉にヴィレンはハッとしてルクレツィアを見ると、彼女の顔色は確かに悪い。  命に関わる即死性の毒ではないが、竜であるヴィレンを衰弱させるほどの威力を持つ毒なのだから…たとえ間接的であったとしても毒はルクレツィアの身体を確実にじわじわと蝕んでいっていた。  ヴィレンは慌ててグリムの手から解毒剤を奪い取ると、その小瓶の蓋を開けて匂いを嗅ぎ、念の為に中身が悪い物ではないか確認してからルクレツィアに渡す。  そんな用心深いヴィレンの様子を、グリムは不機嫌そうに眉を顰めながら眺めていた。
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