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解毒剤を飲み顔色が戻ってきたルクレツィアは、こちらを心配そうに見つめてくるヴィレンに尋ねた。
「ヴィレンは飲まなくていいの?」
解毒剤…と続けると、「俺は竜だからな。ルーシーの魔力を吸って体力が回復したら中和された」という驚くべき答えがヴィレンから返ってくる。
半数の魔術師が自室へと戻っていく中、ニックは残った魔術師に介抱されて治療を受けていた。ズキズキと痛む顔の片側は見るも無惨な姿となり、肉は抉れ治癒しても傷跡は残るだろうと言われた。
(ちくしょうっ…なんで俺がこんな目に…!?)
ニックは憎しみのこもった目でヴィレンを睨みつける。ニックなんて眼中にないのか、こちらを全く気にしていない様子で呑気にルクレツィアと話しているヴィレンの姿が、余計にニックの怒りを煽っていた。
(あの竜を調教しようと思っていたが、辞めだ…絶対に殺してやる!)
ニックはこの魔塔の中でも優秀な『調教師』だった。調教師は、魔獣を使役する魔術師のことだ。
そして、ヴィレンのような魔族は祖先に魔獣の血が入っているため、テイム出来る対象なのだ。
(俺の使役獣の中にも魔族が一匹いる…それとあいつを殺し合せればいい…!)
ニックは歪な笑顔を浮かべて、呪文を唱えると今まで自分が捕獲しテイムしてきたありったけの魔獣をその場に放ったのだった。
「ニック!?」
彼を治癒していた魔術師が、魔獣の群れに呑まれていく。再び臨戦態勢を取る魔術師達だが、魔獣たちは彼らに見向きもせずに真っ直ぐにヴィレンへと向かっていった。
群れに呑み込まれていた治癒魔術師が瀕死の状態で床に転がっていた。すぐに他の魔術師が駆け付けて、魔獣に踏み付けられて血だらけの彼女を抱き上げながらニックに怒鳴った。
「お前、何やってんだよ! 早く使役獣をしまえ!」
「うるせぇぞ! 俺は絶対にあいつをぶっ殺さねぇと気が済まねぇんだよ!」
ニックは血走った目を見開いて、自分を取り押さえようとしてくる魔術師達を金の鎖で縛った。人間を調教する事は出来ないが、力量さえ勝っていれば拘束し無力化することは出来る。
そんな中で、突然現れた魔獣の群れにヴィレンはグリムと共に応戦していた。一匹にそこまでの脅威はないが、数の暴力に苦戦していた。
ニックは畳み掛けるように彼の切り札である魔族を召喚する。
姿を現したのは、下半身が巨体の馬の身体を持つ『馬人族』だった。彼の首には使役獣の証である金の首輪が嵌められている。
落雷を告げる轟き音のように雄叫びを上げるケンタウロスは、本来は集落を築き知恵のある心優しい種族であるのに…今は正気を失っていて獣そのものの姿だ。
召喚師と調教師の違いはこれだ。召喚師は召喚獣と契約を結び絆を結ぶが、調教師は一方的な支配で使役する。だから使役獣に意思はないのだ。
ケンタウロスは暴れ馬のようにその大きな蹄で地を鳴らしながらヴィレンに突進していった。手に持つ三叉槍を構えて、その矛先がヴィレンを狙う。
ヴィレンは同じ魔族のケンタウロスを撃退するために、本来の竜の姿に戻って応戦した。ヴィレンの鉤爪と吐く炎で傷付けられ翻弄されたケンタウロスは、けたたましい鳴き声を上げて馬の前足を大きく上げては暴れ出す。
馬は非常に臆病な生き物だ。ただでさえ正気ではないケンタウロスがナーバス状態に陥ってしまいその場から逃げるように当てもなく駆け出した。
「…え?」
我を失ったケンタウロスが向かった先。そこにはグリムの墓守犬とともに彼らから距離を取り避難していたルクレツィアがいた。
遠くにいた筈の巨大な馬人族があっという間に距離を詰めてきて、チャーチグリム達を蹴飛ばしたり踏み付けたりして今ではルクレツィアの目の前に影を作っている。
彼女の視界には、大きな蹄が今にも自分を踏み付けようとする光景が映っていた。
「ルーシー!」
青褪めながらルクレツィアの元へ全速力で飛行するヴィレンだが…間に合わない。
ルクレツィアの呆然とした表情でケンタウロスを見上げている姿が見えて…。
(やめろ…やめろ! ルーシー! 逃げろ!!)
ヴィレンの目に涙が浮かび上がってきた時、ケンタウロスの動きが止まる。
見れば、ケンタウロスの身体が氷漬けになっていき、それと同時に辺りが凍えるように寒くなっていった。
「お、…お父様…」
突然自分を庇うように現れたディートリヒの姿を見て、ルクレツィアは死に直面した恐怖から涙をこぼした。
最強の魔術師ディートリヒの前では例え巨大な暴れ馬であろうとも、一瞬で無力化されるのだ。
ディートリヒは怯えて泣くルクレツィアを力強く抱きしめ、そして周りの者に鋭い目を向けた。
「俺がお前たちを殺す前に、誰かこの状況を説明しろ」
魔塔の魔術師達は、ディートリヒがここまで本気で怒っている姿を初めて見た。
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