伍 イスラーク城と氷の扉

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「俺がいつもこの子達に付いてあげるわけにもいかないしな。今回のような事があるとますます心配だし…グリムが引き受けてくれたら有難い」  するとヴィレンが興奮したように叫んだ。 「いらねー! 俺がルーシーの護衛になる!」 「うるさいぞヴィレン。お前はすぐに暴走するから護衛には向かない、駄目だ!」  さっきまで落ち込んでいた筈なのに…何やらグリムに対して強い対抗心を持っているらしいヴィレンはいつもの調子を取り戻してきていた。  ディートリヒは騒ぐヴィレンを叱り付けてからグリムへと向き直り、改めて口を開く。 「それにルクレツィアもお前に懐いているようだしな」  と、優しい目をしてルクレツィアを見つめながら娘の頭を撫でるディートリヒの姿に、グリムは不安になった。 「…何故僕なんですか? 僕はイクス隊長の元でもしっかりと働いてきました。功績だって残してます!」  実は、グリムは今でこそアルゲンテウスに所属しているが、当初、入隊を希望した際に一度ディートリヒに断られた経緯があった。  それを無理やり入隊試験を受けて、誰よりも優秀な成績で合格をもぎ取ったので、ディートリヒもそれ以上は何も言って来なかったが…。 「僕は誰よりも貴方のために貢献出来ている戦闘兵士のはずです! 僕は…ディートリヒ様にとって必要のない人材ですか?」  ディートリヒからの護衛の提案は、まるで自分がアルゲンテウスに必要ないと言われているように思えたのだ。  グリムは一族にも母親にも捨てられて、孤独に生きてきた少年だ。自分を拾い育ててくれたディートリヒだけが、グリムにとって最後の拠り所であり居場所だったのに。  ディートリヒのために力を振るわない自分は無価値な存在なのだ。と、怯えた目で訴えてくるグリムにディートリヒは悲しい気持ちになった。 「…俺は…お前を優秀な戦闘兵士にするために拾って育てたわけではないぞ」  ディートリヒはグリムの心の闇の存在を知っていた。知っていて、どうしてあげたら良いのか分からず…だからグリムの思うままにさせてやろうと思っていた。  けれど、ディートリヒはルクレツィアを通してたくさん学んだのだ。育児書を愛読している今のディートリヒになら、今度はグリムに違う言葉をかけてやれる。 「俺のためではなく、自身のために。グリムが本当にアルゲンテウスの戦闘兵士になりたいと言うのなら俺はお前のその意思を尊重するさ」  ディートリヒはそう言って、俯くグリムの頭に手を置くと優しく撫でてやった。グリムの目が大きく開かれる…。 「あの時の俺は、無知でお前にどう伝えていいのか分からなかったが、今なら分かる」  ディートリヒは知っている。グリムがいつも世界中の生物について書かれてある書物を読んで勉強している事を。  彼が魔塔で心血注いで行っている研究も、魔獣の攻撃性を無くす遺伝子操作についての研究である。グリムは、出来る事なら生き物を殺したくはないのだ。  しかし、戦闘兵士は魔獣などの危険から人々を守る役目だ。魔獣を駆除し殺さねばならない仕事…きっとグリムの気持ちに反する事なのだと。  ここまで彼の事を知っているのも、ディートリヒが今までずっとグリムの様子を気に留めて見守っていたからだ。その感情が何なのか…ディートリヒも最近になってやっと分かった事。  拾い育てたグリムを、自分はいつの間にか…。 「俺は、自分の息子には『本当に自分がやりたい事』をやって欲しい」  グリムは驚いた顔で俯いていた顔を上げる。 「血は繋がっていなくとも、俺が育てたんだ。だったらお前は俺の息子も同然だろう?」  娘の境遇を知り、ルクレツィアを救いたいと思った。同時に、ディートリヒの頭にはもう一人救ってやりたいと思う子供がすぐに浮かんだのだ。  グリムの赤い目は潤み、目の周りが赤くなっていった。 「じゃあ、グリムは私のお兄様って事ですか?」 「まぁ…そうなるな」 「兄か。それなら、まあ…いいぞ。グリムもルーシーと仲良くするのを許してやる」  グリムを他所に三人は好き勝手に言っている。自分がこんなにも泣いているのに…。グリムは手で目を擦りながら涙を拭った。 「俺から護衛の提案をしたが、気が乗らなければ断ってもいい」  そんな事を言って、ディートリヒもルクレツィアも期待したような顔でグリムを見つめている。 (…僕が、本当にやりたい事…)  初めて考えてみたけれど、すぐに答えは出なかった。 「……少し、考えさせて下さい」  グリムはそう呟くように返事をして、温かな気持ちで溢れるこの胸を、『どうか夢ではありませんように』と願いを込めてギュッと握り締めたのだった。  —伍 イスラーク城と氷の扉・終—
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