壱 父と娘

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 *  ヴィレンが去り、ルクレツィアは寂しく思ったがまた会える日を楽しみにしていようと心の中に大切にしまった。  気付けば夕食の時間はすっかり過ぎていて、使用人の誰も声を掛けてくれなかったことにルクレツィアは現実に戻された気分でため息をついた。  そのまま寝ようかと思ったが、どうやらそれはルクレツィアのお腹が許してくれないらしい。  ルクレツィアが部屋から出て食堂へ向かっていると、すれ違った使用人が慌てた顔をしていた。 (…何かしら?)  ルクレツィアは居心地の悪さを感じながらも、食事を済ませてさっさと自室に戻ろうと考える。今夜は秘密の友人ヴィレンとの楽しいひと時に浸かりながら眠りたいと思ったからだ。  ルクレツィアが食堂の扉を開こうとすると、屋敷の執事長が慌ててやって来た。 「お嬢様!」 「?」  普段はルクレツィアの存在を無視するくせに、何故話しかけてきたのかと訝しげに執事長を見上げる。 「今日はもう遅いですから、お食事はお部屋にお持ちします」  遅いと言っても、少し遅れた程度の時刻だ。何故、執事長はそんな事を言ってくるのかルクレツィアには分からなかった。 「…もうここまで来たのだから、ここで食べるわ」 「いけません!」  扉を開こうと力を入れると、執事長に怒鳴られる。驚いたルクレツィアは執事長を見上げて、そしてキッと睨み付けた。 「ここは私の家よ! どこで食事を取ろうが、執事に指示される筋合いなんてない!」  そう叫び、ルクレツィアは怒りに任せて扉を開く。すると、中には既に一人の人物が食事を取っているところだった。  青褪める執事長の隣でルクレツィアは目を丸くする。自分の目が信じられなくて、固まっていた。  その人物はルクレツィアの父、ディートリヒ・ヴィル・クラウベルクだったのだ。 「…お父様…?」  ルクレツィアがやっとの思いで言葉を絞り出すと、こちらに冷たい目を向けるディートリヒが言った。 「ルクレツィアか…久しいな」  ちょうど食事を終えていた彼は優雅にナイフとフォークを置いて、席を立つ。そして今来たばかりのルクレツィアの横を通り過ぎて食堂から立ち去って行った。  前回顔を合わせてから約三年ぶりの再会だった。なのに、元気だったかの一言もなく、ディートリヒは立ち去ってしまった。  ルクレツィアはショックでその場に立ち尽くし、下を向く。また涙が出てきた。 (ヴィレン、やっぱり我儘なんて無理だよ…)  ポロポロと静かに涙を流すルクレツィアの隣で、執事長がうんざりした声で呟くように言った。 「だから部屋に戻れと言ったのに…」  ルクレツィアはギュッと小さな拳を握り締めた。
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