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喰らう深淵。
喰らう悪意。
人知れず淀み溜まり腐る悪。
その果てのことなど知ったことではないし、知ったところで意味はなし。
「アナタ達の悪事は、これで終わりですか?」
聖女マグノリアは優美な笑みを浮かべ、不思議なほどよく響く慈愛に満ちた声で告げた。
真っ暗な部屋の中を照らすのは蝋燭の炎。
チラチラと揺れながら映し出すのは、マグノリアの姿。
白く長い髪に白い肌、不思議と感情を感じさせないアメジスト色の瞳。
白い聖衣をまとった姿は、まるで天使。
その天使の前で繰り広げられているのは地獄絵図だった。
「うっ……オレがしたのは盗みと殺し。それだけだ」
「俺……俺たちは、兄貴に従っただけで……」
「そうだよ、オレたちは命令に従っただけ」
うめきながら口々に語る男たちの姿は、打撲痕や擦り傷と血のりで彩られていて、腕や足があらぬ方向へと折れ曲がり、地べたにはいつくばってのたうち回っていた。
「なんだよ、お前たちっ! オレばっか悪いような言い方をしてっ! それを言ったら、オレだって親方の言うことを聞いただけだっ!」
揉めている荒くれ男たちに怯むことなく、マグノリアは微笑んだ。
「うーん、私が聞きたいのは、そこではなくてよ? 聖堂に忍び込んで現金と金製品を盗んだ、とか。事実だけを知りたいの」
うめき声をあげながら床に這う男たちは、血の池で溺れる蟻のごとく、動くことは出来るが抜け出すことは叶わぬ場所にいる。
「もうっ、何なんだよコレはっ!」
「助けてくれよっ!」
「あんた聖女じゃないかっ!」
床にはタール状の真っ黒でベタベタしたものが広がっている。
その上でもがく男たちは、拘束されているわけでもないのに、そこから逃れられずにいた。
「ええ、そうよ。私は聖女です。だから私なりのやり方でアナタたちを救ってあげるわ」
不思議な笑みをたたえたマグノリアは、苦しみにもがく男たちへ向かって静かに言った。
「罪を全て告白するのです」
マグノリアの瞳に、男たちへの同情の色はない。
「では、懺悔を始めましょう」
マグノリアに促されるまま、男たちはそれぞれに自分の犯した罪を言い始めた。
「うぅ……俺は、タバコ屋のばーさんを殺して……タバコと、現金を盗んだ……」
「オレは、赤ん坊を抱えた女から……」
「金持ちの蔵を狙ったときに、使用人を……」
しかしマグノリアは容赦がなかった。
「皆さん。声が小さいですよ?」
タール状の黒いものがシュッと伸びあがって男たちの腹や頬を殴る。
野太く潰れた悲鳴が上がった。
マグノリアはにっこりと笑って、男たちを褒める。
「ああ、いいですね。叫び声は大きければ大きいほどよいですよ」
ひときわ大きな悲鳴と共に、男の腕が飛んだ。
「皆さまの恐怖が倍増しますから、神もお喜びになるでしょう」
「うぅぅぅ、オレたちを解放してくれよぉ」
「そうだよ。お前は聖職者じゃないかっ!」
「ん、それを決めるのは私。アナタたちではないわ」
男たちから上がる不満の声を、マグノリアは一蹴した。
やがて彼らは、すさまじい悲鳴を上げ黒とも赤ともつかぬ液体をまき散らし、黒いタール状の何かに飲み込まれていった。
黒い影はひとしきり蠢くと、真っ黒で粘り気のある何かをペッと吐き出し、闇に消えた。
マグノリアは床に飛び散った真っ黒なものを眺めてつぶやく。
「これを喰らうには……少々、難儀ですわね」
マグノリアは床にひざまずくと、床に滴り落ちて表面張力で盛り上がる真っ黒なモノを啜った。
***
白き光。
それの来た道筋、力の根幹、成り立ちの意味。
興味などないし、知ったところで意味はなし。
マグノリアの手が白く発光する先で、老婆が苦しみの表情から安堵の表情へと変わっていく。
「さぁ、これで大丈夫よ」
「聖女さま、ありがとうございます」
老婆は来た時とは違い、ニコニコと穏やかな表情でマグノリアの前から去っていく。
「聖女さま、急患ですっ」
慌てて入ってきた医官に、マグノリアは穏やかな笑みを向ける。
「では、そちらを優先しましょう。皆さまは今しばらくお待ちくださいな」
人々は信頼する聖女の言葉にうなずいた。
「これは……酷いわね」
マグノリアは運び込まれた急患を見て眉をひそめた。
「はい。この者は運悪く森に潜んでいた魔獣に襲われたそうで」
血まみれでベッドの上で苦しんでいる患者の右腕は、離れた場所に置かれていた。
医官の説明にマグノリアはうなずいた。
「そうなのね。先の戦いで魔獣はかなり退治されたとはいえ、ゼロではないから……」
「ええ。人目に付きにくい場所へ潜んでいるので……それでもだいぶ減ったのですが。襲われれば日頃から鍛えている我々も無傷では済みません」
患者を連れてきたと思われる武官が、気づかわし気な視線を苦しみにのたうつ体へ落としつつ、マグノリアに言った。
装備は全て外されているが患者は兵士のようだ。
つい最近、王国は魔獣による襲撃を受けていた。
撃退はしたものの、戦いによる傷跡は王国のあちらこちらに残っている。
復興のために働く市民を守るため、兵士たちも頑張ってはいるものの魔獣による被害は絶えず起きていた。
「この者の傷は……治りますか?」
彼はこの患者のための思って聞いているのではない。
残り少ない兵士をひとりでも失うのは手痛い、と思っているだけだ。
それが分かっていても、マグノリアに選択肢はない。
「精一杯、頑張らせていただきます」
マグノリアは患者に向かって、白く光る手を差し出した。
***
恐怖に怯え逃げ惑うのは人の性。
強い何かに縋り付くのも人の性。
先の戦いは酷かった。
「愛を武器に! 正義を手に入れるのですっ!」
加齢にしなびた聖者が後方から人々に向かって叫ぶ。
街は赤く燃え上がり、深く黒く沈む影の上に浮かび上がる。
人々の前には武器を持った兵士たちが並び、襲い来る敵に向かっていく。
敵味方に関わらず、上がる悲鳴。
逃げ惑う武器持たぬ人々も血を流す。
聖者は変わらず後方で叫ぶ。
言葉は勢いがあり、指で敵を指し示すけれど、自らが前に立つことはない。
王族や貴族は、更にその奥に控えていて。
建物の外に姿を現すことも少ない。
聖者の前には供物のように人々がわらわらと群れをなし、その前方に兵士が立つ。
兵士の振りかざす刃の前では、黒く得体の知れないものが赤い血をまき散らしては散っていく。
ある者はその血を浴びて凄まじい絶叫を上げながら尽きていき。
ある者は蠢く牙にかみ砕かれて散っていく。
その戦場でマグノリアは、癒しを施していた。
癒しても、癒しても、次から次へと患者は運び込まれて来る。
普通の聖女であったマグノリアに、できることは少ない。
彼女が手をかざす先で、命は儚く次から次へと散っていった。
***
精悍で男らしい顔立ちの兵士が、マグノリアに声をかけた。
「マグノリア、国王が君を呼んでいる」
彼の名はジーニアス。
マグノリアの愛しい人。
「でも、この方の傷を治さなくては……」
「いや、彼は……もうダメだ」
「そんな……」
戦火は激しく燃え盛り。
街を舐めて破壊して、残り少ない陣地を囲む。
「神は我らの味方ですっ! 戦うのです! 悪魔を許してはいけませんっ!」
声だけは大きい聖者が、一番後方から叫んでいる。
人々を押しのけて、マグノリアはジーニアスの後に続いた。
「聖女を連れてきたっ! 開けてくれ!」
固く閉じた扉がジーニアスの声にこたえて一瞬開く。
その隙を狙って民衆が王城の中へと入ろうとして怒号が飛び交う。
マグノリアとジーニアスは王城の中へと入っていくと、取り残された人々の前で門は無常に閉じられた。
王城の中は外の喧騒とは打って変わって静かだった。
人気の少ない回廊を、ジーニアスとマグノリアは進む。
辿り着いた先は国王の居室。
「あぁ、マグノリア。待っていたぞ」
「この不安を癒してちょうだい」
国王と王妃は、マグノリアに癒しを求めた。
外では人々が戦い、逃げ惑っているというのに。
この国の長たるものは、王城にこもって安全を確保していた。
そして正気を保つために、度々マグノリアを呼び出すのだ。
無様で理不尽な国王たちの姿を前にしても、マグノリアは従うより他なかった。
まずは国王。そして王妃。
白い光で癒している時に、それは起きた。
堅牢たる王城が大きく揺れて、天井がバラバラと崩れ落ちてきたのだ。
それは国王と王妃を守るために駆け寄ったジーニアスを直撃した。
「ジーニアス? ジーニアス? ……ジーニアス⁉ イヤァァァァ!!!」
白き聖女の嘆き叫びを、兵士たちの怒号が呑み込んでいく。
国王と王妃は部屋の隅に震えながらうずくまっている。
愛を叫び。
正義叫び。
散ることのどこが美しい?
「誰かっ! 誰かジーニアスを助けて!」
白き聖女の叫びに、応える者は誰もなく。
王城内に燃え広がっていく炎が、ジーニアスの残骸を舐めながら取り込んでいく。
「誰でもいいっ! ジーニアスを助けてくれたら、なんでも言うことを聞くわ!」
赤く燃える炎の作り出す影が、不自然に伸びていく。
黒い影は笑いながら人の形を成していく。
「魔物だっ!」
「悪魔だっ!」
騒ぎ立てながら飛び掛かっていった兵士たちは黒い影に串刺しとなり、炎の中にくべられた。
国王と王妃は鋭い悲鳴を上げるだけで、震え固まり役には立たない。
「ハッハッハッ。面白い聖女だな。ならば、儂と取引をせぬか?」
「取引?」
「そうじゃ、取引だ。儂に悪を捧げよ。さすれば、お前に白き力を与えよう。死人すら生き返らせることができるほどの、力を」
「力……」
マグノリアは自分の両掌を見た。
彼女が持つ力は小さい。
死人すら生き返らせる力など想像もつかない。
「そうだ、力だ。お前はお前が望む世界を、その力で手に入れたらいい」
「望む世界……」
「その力さえあれば、恋人を生き返らせることもできる」
国王と王妃が自分たちを助けろと騒ぎ立てている。
彼らを助けることに意味などあるのか?
マグノリアは疑問だった。
「あぁ、ウルサイ。本当に目障りだ」
黒い影は国王と王妃も串刺しにして炎のなかにくべた。
「で、どうする? 聖女。お前は力をとるか? それとも、あの間抜け共と一緒に炎の中で踊るか?」
火にくべられた国王と王妃は、何やら叫びながら赤い炎の中で黒い影を作っている。
兵士たちよりも、幾分か長い間踊っていたが、その影もやがて消えた。
「私は……力をとるわ」
「そうか。やはりお前は面白い聖女だ」
黒い影は邪悪な笑い声を立てながら、マグノリアと契約をした。
契約内容は、彼らの餌となる真っ黒な悪意を捧げる代わりに、白い聖力を得ることだった。
それによりマグノリアは愛するジーニアスを取り戻した。
それを目撃した国王も、王妃も、兵士たちも炎の中に消えて。
真実を知るものは、黒い影とマグノリアのほかにはいない。
***
この世は生者の手のうちにある。
生きて残るが全てに勝る。
泥を吸って枝葉伸ばし、見事に白く咲くそれがマグノリア。
結果求める人々押し寄せ、それに答える、それが聖女。
それ以外の生きる道を知らぬし、それ以外の生き方に意味など見出せぬ。
マグノリアは治療院で、押し寄せる人々を求められるがまま癒した。
「マグノリア」
「ジーニアス。来ていたのね」
褐色の肌で鎧のような筋肉を包んでいる精悍な顔をした男は、彼女の手を取り指先にキスをした。
「君は偉いよ、マグノリア。人々に仕えて、幸せを与えて」
「そんなことはないわ、ジーニアス」
人々が押し寄せる治療院の片隅で行われたジーニアスによる癒しが、マグノリアに力を与えてくれる。
それを、ジーニアスは知らない。
「でも、ちょっと嫉妬しちゃうな」
「……え?」
「君が、僕だけのものだったら良かったのに」
「ジーニアス……」
彼は知らない。
マグノリアにとって、既にジーニアスが全てであることを。
「無理なのは分かってるよ」
「でも、ジーニアス。私の個人的な愛は、アナタだけに捧げるわ」
「マグノリア」
彼の手を包み込むように握ったマグノリアを、ジーニアスは抱き寄せ、その唇に甘いキスを落とした。
甘く、甘く蕩けるようなキスが、彼に命を与えていることをジーニアスは知らない。
そしてマグノリアは、その力がどこからきているのかを、よく知っていた。
「君とのキスは、とても甘いね」
「ふふ。ふたりだけの秘密よ、ジーニアス」
それはマグノリアだけが知っていればいい秘密だ。
彼のために地獄へ落ちるというのであれば、喜んで落ちよう。
人々を白き力で助けるのは、彼女にとっては贖罪であり義務なのだ。
善意ではない。
***
「……うわぁぁぁぁぁぁぁ……」
「オレの……オレの犯した罪は……」
「さぁ、罪人の皆さん。自らの犯した罪を告白し、神に許しを乞うのです」
マグノリアは苦しみにのたうつ罪人を前に、慈悲深く微笑む。
その姿は、まさに聖女。
救いを求める人々は、その力の源を知る術もないまま。
聖女は月のない夜に、人知れず彷徨う。
新たなる力の源を探し求めて。
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