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最後のあと一回
コンサートが終了し、達哉が迎えに来てくれた。
助手席には綾夏ちゃん、後部座席には陽菜ちゃんと私が座り
ずっとコンサートの話で盛り上がった。
3人が、日奈汰がどんなに素敵だったか、歌もやっぱりうまかったとか
スタイルも顔も良かったとか、ずっとしゃべり続けるのを達哉は黙って聞いている。いつものことだから全然気にしないで相づちを打つ達哉。
家に戻れば、次男の和貴が夕食の支度をして
待っていてくれる。
家に着くと、ドアを開けるのは和貴ではなく
【和哉】だった。
「え?」私は車から降りる。
「おかえり、みー」と手を差し出す【和哉】
私は、言われるまま手を出すと杖も使わずに
歩くことが出来た。
「ただいま、和哉」私はそう言って顔を見る。
やっぱりそれはあの頃の【和哉】だった。
「私、すっかり老けちゃったよね」私がそう笑うと
「え?全然変わってないよ」【和哉】も笑っていう。
「和哉、相変わらず優しいね」私は体を【和哉】に委ねると
優しく私を抱きしめてくれた。
「お義母さん、美月さん」
綾夏が声を掛けるが、後部座席の美月は動かなかった。
美月はそのまま、わずかに微笑みながら眠る様に
息を引き取っていた。
胸には日奈汰のパンフレットを抱えて
本当に幸せそうな顔で。
後日、綾夏は日奈汰に手紙を送った。
『デビュー25周年おめでとうございます。
先日のコンサート最終日に、最前列で義母と娘と一緒に楽しませて頂けて、本当に幸せでした。
サプライズアンコールで
「イエスタディ」を弾き語りしてくれて、義母:美月さんは、最高に喜んでいました。
以前から、ご存じと思いますが
日奈汰さんは、美月さんの亡くなった旦那さんとよく似ていて、その義父が「イエスタディ」を弾き語りでよく歌っていたと聞いてました。
それが、偶然にも日奈汰さんが義母の目の前で
弾き語りをしてくれたので、「もう最高に良かった!素敵だった!」と
帰りの車の中で、ずっと言ってました。
義母は2年ほど前から、難病を抱えていました。
今の医学では、治療法も薬もないものです。
日頃は寝たり起きたりでしたが
日奈汰さんのイベントや舞台コンサートがあると
本当に元気になるんです。
「あと一回は行けるよ」と言って。
私達家族は、その度に日奈汰さんを好きという心が病をも、はね除けるのだと実感しました。
あの日、美月さんは
最高の時間を過ごした後、義父のところへ旅立ちました。
それはそれは幸せそうな顔で。
まるで義父と一緒だった頃の様な顔の皺も消え
若々しい顔で。
日奈汰さんのおかげで、美月さんの最高の人生の締めくくりが
出来て、本当に感謝しています。
これからは娘と二人で変わらず応援をしていきたいと思います』
それからしばらくして
小南日奈汰に、第一子が生まれたとのニュースが流れた。
生まれた女の子の名前は公表されなかったが
「美月」と名付けられたのは
空の美月には
きっと届いただろう。
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