あと一回、もう一回

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あと一回、もう一回

普段着以外は、息子の卒業式で着たスーツくらいしか持っていないから、それで会場に向かう。 いまいち会場の場所が分からず 駅から出たところで、通りがかりの女性に 道を尋ねた。 「あ、私もそこに行くので、一緒に行きましょう」 親切にそう言ってくれたので 「もしかして日奈汰くんのファンですか?」と聞いてみた。 「ええ、まあ」 「わぁ、良かったぁ。若いお嬢さんばかりで居づらいと思っていたんで」 「まあ、私は彼より20歳年上ですからね」 その女性は、苦笑いをした。 「あ、なんかすみません。私は35も年上なんです。恥ずかしいですよね?」 私はつい本当の歳を言ってしまった するとその女性は「それは関係ないですよ!いくつになっても、好きやトキメキを持てるというのは素敵です」 「そうですか?!」 私は会場までの道すがら、その女性に小南くんを好きなったきっかけ。どれだけ夢中か、熱く語っていた。 「日奈汰が、こんな風に愛されているのは、幸せな事ですよね。 さあ、ここが会場ですよ」女性はそう言うと 指さした先には [小南 日奈汰ファンイベント]と書かれた 看板がちょこんと置いてある。 「ここなんですね。ありがとうございました」 私はお礼を言っていると、いえいえと手を振る彼女に 階段を駆け上ってきたスタッフらしき人が 「浅岡マネージャー!衣装サイズ大丈夫でした!」と叫んでいた。 えええ?この人、マネージャー!? 「そう、良かった。では今日は楽しんでくださいね」と浅岡さんは言い 中へ入っていった彼女に、常連のファンたちはマネージャーと知っているようで 口々に「お疲れ様です」「今日はよろしくおねがいします」と声をかけていた。 いきなりやってしまった!との思いでロビーを見渡すと、若くて可愛いお嬢さんたちで埋め尽くされている。 アクリルスタンドと一緒に自撮りする人。 グッズをたくさんぶら下げ、ひらひらと可愛いワンピースや推しカラーのグリーンで小物を揃えている人などなど。 グレーの地味なスーツで、場違いな自分は、ちょっと帰りたい気持ちになったが、せっかく勇気を出してきたし、さっきのマネージャーさんも楽しんでと言ってくれた。 とにかくキラキラのお嬢さんたちの間に並んで、グッズや人生初のペンライトを手に入れた。 いよいよ、 会場入りして、席をさがす。 15列目。 思っていたより近い。あの位置に、日奈汰くんが立つんだ。 ここってど真ん中?キラキラのファンの真ん中に よどんだグレーの私がいたら、そこだけ 穴が開いたみたいに見えるんじゃないか? うわ、どうしよ。 色々考えているうちに、きゃーと歓声と拍手が巻き起こった。 キラキラ達が一斉に舞台に視線を注ぐ。 同じ空間で同じ空気を吸い、声の響きをダイレクトに浴びる。 まんべんなく注がれる日奈汰くんの視線は、私にも注がれる。 目が合った!と思い込むには十分な時間だった。 大勢の中の一人でも、彼の目に映り、記憶の片隅に残る幸せは、何者にも代えがたい。 曲が変わると一斉に、ペンライトを持ちだし 同じ色に点滅させている。 もたもたする私に、隣の女の子がスイッチの入れ方と、色の切り替え方を教えてくれた。 同じ方向に振られるペンライトは、光の波となってすごくきれいだった。 初めての経験と興奮で、自分の頬が蒸気しているのが分かる。 ペンライトの使い方を教えてくれた女の子が、普通にファンとして接してくれて、周りに対しての気後れは消えた。 イベント終了後、出口で一人一人お見送りする日奈汰くん。 そんな事があるとは知らない私は、順番が近づくにつれ、足がガクガクしてきた。 楽しそうに一言二言、言葉を交わすファン達。 私には無理だ!と思っていたら順番が来てしまった。 目の前にはスマートで、きれいな顔の日奈汰くんに、和哉の面影をさがしている自分もあった。 見とれていると日奈汰くんの方から 「マネージャーから、熱い思いを聞きましたよ。ありがとうございます!これからもよろしくお願いします!」と言ってくれた。 頭が真っ白になって、 「はい。応援します」としか言えなかった。 隣のマネージャーさんに目をやると、笑顔で目配せしていた。 見つめた日奈汰くんの瞳は、やっぱり和哉と同じ、深くて優しい。 それ以外はどんな衣装だったか、イベントでのトーク内容も飛んでしまった。 上の空のまま、子供達が寝静まった リビングの和哉の写真に報告した。 目の前で見た、日奈汰くんの瞳の中に、和哉を感じて 「和哉、もう一回、あと一回で良いから 逢いたいよ」涙が自然と流れた。
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