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【49】弟
如月は仕事が一段落した充実感に浸っていた。
久しぶりに休日出勤も無い、日曜日。
また直ぐに仕事に追われる日々が始まるだろう。
その前の束の間の休日。
如月は高校時代の友達と昼食を食べて、ドライブに行く約束をしていた。
支度を終えて午前11時に玄関を出ると、ドキッと胸が鳴った。
藤倉が引っ越して以来、誰も住んでいない隣りの部屋の前に誰かが立っている。
綺麗にカラーリングされた金色の髪。
男は如月に向かって振り返ると、
「あ!『玲那ちゃん』だあ!」
と大声を出した。
可愛らしい顔。
耳のピアス。
学生風の姿。
「…毬村さん?」
如月が呟くと、男はにっこり笑った。
「そーでーす!
お久しぶりです!
お元気でしたか?」
「は、はい…」
如月が毬村の勢いに後ずさると、毬村が眉を顰めた。
「玲那ちゃん…如月さんなら知ってるかなあ?
ゆーくん、ここに住んで無いんですよね?
ゆーくんが今、何処に住んでるか、知りませんか?」
「…知りません」
毬村がスマホをブラブラと振る。
「困ったな~。
南野さんとも連絡が取れないんすよね」
「ミナミは仕事かも…。
ゆう…藤倉さんに何か?」
毬村がバッグから封筒を取り出す。
現金書留だ。
「ゆーくんの弟に頼まれたんです。
返してきてくれって。
ゆーくん、弟の拓真に仕送りしてるから。
でも拓真は受け取らなくて、俺がいつも返しに来てるんですけど。
これ、昨日届いたんだけど、ほら、住所がここになってるでしょ?」
毬村に言われて、如月が現金書留を見る。
確かに住所はこのマンションで、部屋番号も藤倉が住んでいた如月の隣りになっていた。
「如月さんにも、新しい住所を言わずに引っ越したんですか?
それにしても何で新しい住所じゃないんだろう…」
如月もそれは疑問だった。
弟さんにも新しい住所を知らせないなんて…
如月が考え込んでいると、毬村がニヤニヤと笑って言った。
「如月さん、もしかしてゆーくんのただのお隣りさんじゃないとか?
俺がゆーくんにベタついてた時、怒って走って行っちゃったもんな~」
「…恋人です」
如月は真っ赤になって答えた。
「え?」
「だから!悠真と俺は恋人同士です!」
如月が叫ぶように言うと、毬村は嬉しそうに笑った。
「そっか~。
ゆーくんもやっと前を向きだしたんだ~」
「…どういう意味ですか?」
如月の言葉に、毬村がハッとした顔になる。
「ゆーくんに聞いて無いんですか?」
「何をですか?」
すると、一転、毬村が真剣な顔になった。
「恋人の如月さんにも、新しい住所を言わずに引っ越したんだ。
ゆーくんには相当の事情があるのかもしれない。
一緒に考えてくれませんか?
それにゆーくんに恋人が出来たなんて…。
如月さん、ゆーくんの弟の拓真に会ってやってくれませんか?
拓真の頑なな気持ちが解けるかもしれない」
『でも俺、弟と上手くいってないんだ』
藤倉の声が蘇る。
悠真と弟さんの仲を取り持てたら…
悠真の役に立ちたい…
「行きます」
如月は毬村を見て、キッパリと言った。
「本当に!?」
毬村の顔がパッと明るくなる。
「行きます。
連れて行って下さい」
如月は約束していた友達にスマホから電話を掛けて、急に仕事になったと断った。
如月の仕事が忙しいことを知っている友達は、笑って「働き過ぎるなよ」と言ってくれた。
藤倉の弟の住んでいる所は、蒲田駅から歩いて10分の2階建てのアパートの1階だった。
毬村がインターフォンを押す。
「どなたですか?」
ドア越しに男の声がする。
「俺、歩」
毬村が答えると、ドアが開く。
如月は似てる、と思った。
悠真に似てる…
「その人は?」
拓真が訝しげに如月を見る。
「まあまあ、部屋に入れてよ!
話はそれから!」
毬村が拓真にウィンクした。
拓真の部屋は、六畳のキッチンと八畳の続き部屋だ。
拓真は毬村と如月を八畳の部屋に通すと、小さなテーブルに、アイスコーヒーを運んでくれた。
それに拓真は、片足を引き摺っていた。
毬村と如月の前に拓真が座る。
毬村がバッグから現金書留の封筒を取り出し、テーブルに置く。
「ゆーくん、引っ越してて、ここの住所には住んで無かった」
そう言う毬村に、拓真が無表情で言い捨てる。
「アイツらしいな。
どうせまたろくでも無いことやってんだろ」
「まあ、そう言うなって!」
毬村が明るく宥める。
「こちらは如月玲那さん。
ゆーくんの引っ越し前のお隣りさんで、何とゆーくんの恋人!」
「恋人?」
拓真が無表情のまま如月を見る。
「じゃあ、あなた。アイツの新居知ってるんですか?」
如月は俯いて答えた。
「…知りません」
「そんなことだろうと思った」
拓真が如月を見据える。
「あなた、新居も教えて貰え無くて、恋人って言えるんですか?
どうせアイツのことだ。
やましいことでもあって、あなたをもて遊んで、消えたんですよ」
「拓真!そんな言い方無いだろ!」
毬村が思わず怒鳴る。
「そうです!悠真には何か事情があって…」
如月が必死になって言うと、拓真が声を上げて笑った。
「事情?また殺人でもやったとか?」
「え…」
如月がまじまじと拓真の顔を見る。
「拓真!止めろよ!」
毬村が叫ぶ。
拓真は憎しみに燃える目で、如月を見て言った。
「あなただって知ってるんでしょ?
恋人なんだから。
あんな殺人を犯すようなヤツの恋人なんだから。
殺人だけじゃない!
自分の両親も死に追いやった!
俺の足も壊した!
俺にはもう何も無い…!
それなのにアイツはのうのうと生きて、恋人まで作ってる!」
「拓真!もう止めろってば!」
毬村の悲痛な声が響く。
如月はただ瞳を見開いて、拓真の顔を見つめていた。
何分程、拓真の顔を見つめていただろうか。
如月は掠れた声でやっと言った。
「…知りません。
悠真からは過去のことは何も聞いていません…」
拓真はまた無表情に戻っていた。
「だからあなたはアイツにもて遊ばれたんですよ。
それに言える訳ないもんな。
自分が人殺しだなんて」
如月は拓真をキッと見た。
「俺は悠真のことは、悠真の口から聞くまで、何も信じません!」
「この世で唯一、アイツと血の繋がった俺の話でもですか?」
「それは…」
如月が言葉に詰まる。
毬村は俯いて拳を握っている。
「信じなくても結構です。
これは俺の独り言です」
拓真は遠い目をして話し出した。
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