【2】交錯

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【2】交錯

それから数日後、藤倉は南野(みなみの)とラーメン屋に来ていた。 「藤倉さん、何か楽しそうですね」 南野はラーメンを食べ終わると、水を飲んでニコッと笑って言った。 「そう…かな?」 「うん。 そんな顔、久し振りに見ました」 藤倉は黙ってラーメンを啜る。 「もしかして、好きな人でも出来た?」 南野の質問に藤倉が吹き出しそうになる。 「やめてよ。 汚いな~」 「出してないだろ!」 「はいはい。 で、早くラーメン食べちゃって、その弛んだ顔の訳を聞かせて下さいよ。 この後、コーヒー奢りますから」 「ドケチのミナミが!? 奢り!?」 「だってラーメンはおじさんの支払いだからね~。 しっかり領収証貰っていこう」 南野はニッと笑って、伝票を指先で掴むとヒラヒラさせた。 「一目惚れの相手に出会った!?」 ラーメン屋から程近いコーヒーショップのチェーン店で、南野は大声を上げてしまい、自分で自分の口を腕を横にして塞いだ。 「一目惚れじゃないよ! ちょっと綺麗だな、かわいいなって思っただけで。 夜に一瞬見かけただけだったし、その人本人か分かんないし。 ただ、その人にそっくりだった…」 南野がグルグルと藤倉の顔の前で人差し指を回す。 「だーかーらー、そーゆーのを一目惚れって言うんでしょ? 一瞬見た相手をちゃーんと覚えてて、そっくりな人に出会って舞い上がっちゃうんだから」 藤倉が南野の指をパシッと払う。 「舞い上がってないし!」 「鏡見せましょうか? 尋常じゃないくらいニヤケてますけど」 「マジ!?」 藤倉が自分の顔をペタペタと触る。 「マジマジ。 それで何処で再会したんですか? 何か話したんですか?」 藤倉は顔を触るのを止めると、テーブルの上で手を組んだ。 その手を見ながら答える。 「まあ偶然会っただけ。 話も挨拶だけだし。 でも悪いことしちゃった…」 「悪いこと?」 南野の声のトーンが落ちる。 「そのそっくりな人、やさしい人でさ。 こんな俺と握手しようって手を出してくれて…。 断れなくて、俺も手を出したけど…動けなくて。 そしたらその人から握手してくれた…」 「別に悪く無いじゃないですか」 南野がホッしたように言う。 「でもその人、綺麗な手をしてて…。 俺なんかと握手して汚しちゃったなあって…」 「藤倉さん」 南野が組んだ藤倉の手を、自分の手でくるむ。 「藤倉さんは汚れてませんよ。 もう全て終わったこと! 全部忘れて1からやり直すんでしょ?」 「ミナミ…」 「ほら、ニヤケなよ、また。 その人でも思い出して。 またその人に会えるといいですね」 「うん、そうだね…」 藤倉は諦めたように笑った。 それからコーヒーショップを出ると、二人は歌舞伎町に向かう。 そこには藤倉の勤め先、高級ソープランド『Sweet Heart』がある。 藤倉はそこでボーイをやっている。 今日は15時から24時までのシフト。 「ミナミは時間大丈夫なの?」 「言ってませんでしたっけ? 午前中一件終わらせて、夕方から一件です」 南野は何でも屋に勤めていて、主にコンピューター関係の担当だ。 「藤倉さんもうちにくればいいのに」 南野は、藤倉とこうして一緒に、藤倉の仕事先に向かう前は、必ずこう言う。 「超一流の大企業ってもんじゃないけど、待遇良いし」 藤倉は笑うだけで何も答え無い。 もう何十回と繰り返された会話。 藤倉は必ず断る。 南野に迷惑を掛けたく無いからと。 そう言うと南野は必ず怒る。 迷惑なんかじゃないと。 けれど藤倉は決めている。 幼馴染みの、どんな時も自分の味方になってくれた南野に、塵ほどの迷惑も掛けたく無い。 職場が一緒だなんてとんでもない。 どんな迷惑が南野に降り掛かるか、分からない。 藤倉は『Sweet Heart』の従業員出入口の扉の鍵穴に、電子キーを差し込み、回す。 鍵がカチッと開く音がする。 「じゃあ、ミナミ、ちょっと待ってて」 「は~い」 南野が笑って藤倉に手を振る。 南野はすかさずスマホをジャケットのポケットから出して、ゲームを始める。 1分も経たない内に扉が中から開く。 「ホントにゲームオタクだな~。 1分くらい待てないのかよ~」 呆れたようなノンビリした声。 『Sweet Heart』のオーナー兼店長の橘蒼介(そうすけ)だ。 「おじさん、はいこれ」 南野がさっき食べたラーメン屋の領収証を財布から抜き取り、橘に差し出す。 「ラーメンね…。 お前は本気で俺をラーメン担当だと思ってる訳だ。 分かったよ」 「え!?分かったの?分かっちゃうの?」 「領収証まで用意しといて、分かっちゃうの?じゃねえだろう。 いいよ、奢ってやるから。 事務所でお茶飲んでくか?」 「やりー! 橘さん、やさしいー!」 南野はゲームを素早くセーブすると、橘の後に続いた。 橘はやさしい人だ、と南野は本気で思っている。 それに不思議な人。 藤倉と南野は25才。 橘は33才。 33才でこの歌舞伎町のど真ん中にある高級と名のつくソープランドのオーナーになるのは、凄腕だ。 だが、威圧感というものが皆無で、いつもふにゃっと笑っている。 趣味は絵を描くこと、オブジェを作ることと釣り。 およそ歌舞伎町からもソープランドからも一見無縁に見える。 『あの人の凄さはそこなんだよね』 橘の知り合いだという、歌舞伎町で今ナンバーワンホストを張っている藤倉と南野と同じ年の高梨咲也(さくや)から聞いた話を思い出す。 橘は伝説のホストで30才まで稼ぎまくり、何を思ったか、今度は女の子で風俗を提供する側に回ったと。 「ほら、ミナミ、お茶。 お前の好きなやつ。 それとラーメン代1600円な」 「橘さん、サンキュー」 南野はニコニコと笑って、橘からペットボトルとお金を受け取る。 南野だって本気でラーメンを奢って貰おうだなんて思っていない。 ただ以前、橘と藤倉と南野の三人一緒にラーメンを食べた時、橘が藤倉と南野の分を支払ってくれて、『ラーメンくらいならいつでも奢ってやる』と言ったから洒落で領収証を貰って来たのだ。 それを何の躊躇いも無く、支払ってくれる、不思議でやさしい人。 「で、何だその格好? スーツなんか着て。 とうとう高梨の口説きに負けて、ホストになる決心したのか~?」 橘がニヤニヤ笑いながら、缶コーヒーを飲む。 南野がわざとらしくため息をつく。 「まっさか~。 これから会うクライアントがパソコンソフトのメーカーなんだけど、バグが出るってお得意様に言われて直しに直したんだけどお手上げ状態。 それで俺に白羽の矢が立ったってワケ。 んでそのお得意様が立ち会うらしくて、お得意様はお役人のエリートだから服装はスーツでって指定されたんです。 めんどくせー」 「ミナミも大したもんだな~」 「まあ、好きなことですからね」 「好きなことを仕事にしてることが大したもんってこと。 そんな奴、滅多に…」 すると、何かの割れる音と男の怒鳴り声が微かに聞こえた。 橘が先程までのノンビリとした雰囲気から一転、素早く立ち上がる。 「緒方!」 橘が低く怒鳴る。 30代後半のインカムを付けた男が事務所にすっ飛んで来る。 チーフマネジャーの緒方だ。 「店長、大丈夫です。 藤倉がポカやってバックヤードで皿を割っただけです」 「そうか。 藤倉ちゃんに怪我は?」 「怪我なんてしやしませんよ」 緒方がフフンと小馬鹿にしたように笑う。 「馬鹿は風邪引かない、と一緒です」 「ちょっと…あんた…」 南野が立ち上がろうとして、橘に肩を掴まれる。 「あ、藤倉くんと店長のお友達もご一緒でしたか。 失礼しました」 「分かった。 もういい。 ご苦労様」 橘がふにゃっと笑う。 緒方が一礼して去って行く。 「俺、アイツ好きじゃない。 いつも藤倉さんを目の敵にしてる」 そう言う南野の頭を、橘がポンポンと軽く叩く。 「緒方は有能な男だ。 藤倉ちゃんはここに来てまだ半年。 そう何でもかんでも上手くはいかねえよ」 「そうですけど…」 「そんな顔すんなよ。 かわいい顔が台無しだぞ」 「童顔の橘さんに言われたくありません」 橘が南野の頬っぺたを両側から引っ張った。 南野は橘の店を出ると、今日の最後のクライアント、大手パソコンソフトメーカーに向かった。 時間は16:30。 受付で自分の会社名と氏名、相手の担当部署と担当者名を告げる。 「ただ今、小川が参ります。 ロビーでお掛けになってお待ち下さい」 だが、南野がロビーのソファに座った途端、小川が走ってやって来た。 南野が立つ間も無く、入館証が首に掛けられる。 「南野さん、早く!」 「早くって…この時間を指定してきたの、小川さんでしょう?」 小川に引き摺られるようにして南野も走る。 「それは会議が…あー説明してる時間が惜しい! 先方は18時にいらっしゃいます。 それまでに何とか…!」 「バグするソフトは?」 「もう立ち上げてあります」 「了解!」 それから1時間程で、南野はバグを起こす原因を見付け出して修正した。 「スゲー…」 小川も小川の同僚達も、パソコンに向かう南野を取り囲んで、南野の説明を聴いている。 南野の説明ではソフト自体が不良品な訳では無く、ソフトのある一部分を手直しすれば良いということで、そこにいる全員が安堵の表情を浮かべた。 その時、小川のスマホが鳴った。 小川が受け答えをし、通話を切ると、「いらっしゃいました!」と叫び、何処かに走って行く。 そして小川と同じ担当以外の社員も、それぞれの席に戻って行く。 「もしかしてお得意様?」 南野は残った担当社員に訊いた。 「そうです」 「どちらのどなた様? 俺、聞いてないんだよね」 「まったく…! 小川のヤツ~! 財務省の方なんですよ」 南野はピューッと口笛を吹いた。 「そりゃあお得意様だね」 「あ、いらっしゃいました! 南野さんも同席して下さい」 「えっ…俺も!? でももう原因は分かったんだし…」 「お願いします!」 担当者は小声で言うと、小川達に向かった。 「本日はご足労頂きまして…」 「いえいえ、原因解明されたとか…」 南野はボンヤリと、小川と同じ担当者と話す『財務省の人間』を見ていた。 二人共、自分と同じ年頃のイケメンだ。 いや、一人はイケメンだが、もう一人は女顔の綺麗でかわいらしい美人だ。 肌が透けるように真っ白で、大きな丸い瞳で小川と担当者を見つめて、頷いたり質問したりしている。 「それで今回の説明は、株式会社トータルサービスコーポレーションの南野さんからも…」 そう言う小川達に、財務省の二人の視線が南野に移る。 南野は椅子から立ち上がり、一礼した。 「只今ご紹介に預かりました株式会社トータルサービスコーポレーションの南野です」 二人も頭を下げる。 「財務省の如月(きさらぎ)です」 「結城(ゆうき)です」 如月も結城も微笑んでいる。 南野はスーツの内ポケットから、名刺ケースを取り出した。
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