【45】新しい仕事

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【45】新しい仕事

藤倉は九条の指示通り、歩いて商店街を抜け、電車に乗った。 何処に行くというあても無かったので、五反田の自宅に帰ることにした。 途中、九条から電話があってから30分後、九条からメールが来た。 相変わらず無題で、 『今夜21時。いつもの八重洲のビジネスホテルのいつもの部屋でお待ちしています』 とあった。 藤倉は考えた。 確かに先程の九条の様子はおかしい。 それに関係した件だろうか? 藤倉は『分かりました』と返信した。 五反田駅から東京駅までは、JRで15分ちょっとの距離だ。 東京駅からビジネスホテルまで徒歩3分。 余裕を見ても45分前に自宅を出れば大丈夫だろう。 藤倉はやはり一度、五反田の自宅に帰って夕食を取ることにした。 五反田のJRに直結しているショッピングモールで、値段が少し高めの惣菜を買う。 どうせ九条の話は、良い話の訳が無いだろう。 美味しい物でも食べて、気分転換しようと思ったからだ。 自宅に戻り、まず、顔に湿布を貼った。 藤倉は余り客前に出ることは無いが、それでも客商売だ。 明日までに少しでも腫れが引いて、痣が薄くなるといいな… それからゆっくりと夕食を食べた。 食後に痛み止めと栄養剤も飲んだ。 毎週買っている週刊少年漫画をパラパラと読んでいると、丁度出掛ける時間になった。 藤倉は部屋を後にして、八重洲に向かった。 八重洲のいつもの7階の部屋のインターフォンを押すと、九条の声がした。 「どちら様ですか?」 「藤倉です」 音も無く、ドアが開く。 「どうぞ」 藤倉が部屋に足を踏み入れると、奥から剣持の声がした。 「藤倉さん、お久しぶりです。 どうぞ、こちらに」 剣持はニコニコと笑って、椅子を掌で指し示す。 藤倉は会釈をすると、椅子に座った。 九条が備え付けの冷蔵庫から、缶コーヒーを2本テーブルに置く。 剣持は缶コーヒーのプルトップを開けながら言った。 「藤倉さんもどうぞ飲んで下さい。 大したモンじゃ無くて申し訳無いが。 藤倉さんの仕事ぶり、大変感心しています。 素晴らしい出来栄えだ。 なあ、九条!」 「はい」 九条が静かに返事をする。 剣持は缶コーヒーを一口飲むと言った。 「それでね、藤倉さん。 その顔の湿布、取って見せて貰えますか?」 「湿布…ですか?」 「はい。お願いします」 剣持が笑顔で頷く。 藤倉は意味が分からなかったが、剣持に逆らう訳にもいかない。 医療用テープで貼ってあった湿布を剥がす。 剣持は藤倉の顔の痣に目をやりながら、言った。 「なぜ今日、九条があなたに取り引きもさせず、帰れと言ったか、分かりますか?」 「…分かりません」 「その、顔の痣ですよ」 「痣?」 藤倉は思わず、痣のある頬に触れた。 「その痣は目印みたいなもんだ。 万が一、取り引きを見た誰かが不審に思った時、『顔に痣のあった男』と答えるでしょう。 痣のせいで、あなたの顔をしっかりと覚えるかもしれない。 不審に思わない通行人にも、痣がある男がいる、と記憶に残るかもしれない。 あなたの仕事は目撃者がいたらおしまいです。 だから九条は、あなたに帰れと言った。 走らずにね。 顔に痣のある男が、慌てて商店街を走ったりしたら目立つ。 取り引きは九条が無事に済ませました」 「…すみません」 謝る藤倉に、剣持は笑った。 「あなたが謝る必要はありません。 必要があるとしたら、あなたの顔に痣を作ったヤツだ。 殴られたか…蹴られたか…。 落とし前をつけさせてやりたいくらいですよ」 藤倉の顔色が変わる。 「今日の取り引きに、お手数をお掛けしたのは悪いと思っています! でも俺を蹴った人に何もしないで下さい!」 「成る程ね」 剣持は一転、ニコリともせず、言った。 「蹴られたんですね」 藤倉はハッとして口元に手をやった。 「藤倉さんは、嘘がつけない、正直な方だ。 でも売人の仕事は、秘密理に確実になさっている。 そういうところが、また優秀なんですよ。 安心して下さい。 落とし前なんてつけませんよ。 それこそ目立つ。 ただ、その痣が消えるまで、売人の仕事は出来ない。 俺達が綿密に立てている予定が狂った。 取り引き相手との約束の変更は利かない。 なんせ、相手は上客なんでね」 「……」 すると、剣持が急に笑顔になり、続けた。 「でもまあその痣も、今週中には目立たなくなるでしょう。 藤倉さんには来週からまた活躍して貰いますよ。 今週は休んで下さい」 「え…?」 剣持の意外な言葉に、藤倉は目を見開いた。 「その代わり、次の木曜日のお休みには、通勤時間込みで夜8時から3時間程、働いて頂けますか? 何、簡単なことだ。 藤倉さん、運転免許はお持ちですよね? ある荷物を運んで頂きたいんです。 ドライバーはちゃんといますが、もしもの時の為の助手としてね。 勿論、顔に湿布をしていたからと言って、何も問題無い」 「それだけですか…?」 剣持がニッと笑う。 「それだけです。 報酬は2万。 よろしくお願いします」 連絡は後日、九条がメールをするという事で、剣持との話は1時間足らずで終った。 藤倉は足取りも軽く八重洲のビジネスホテルを出た。 今週は売人の仕事が無い! それだけで、信じられない程、気分が軽い。 木曜日の夜8時から仕事だと、南野と夜に出掛けるのは無理だが、それが残念にも思えない程、嬉しかった。 その仕事も、少し拘束時間は長いが、ドライバーの助手。 売人に比べたら、何てことは無い。 藤倉はその夜、早速南野にラインをした。 『ミナミ、木曜日、悪いけど夜は仕事のヘルプが入っちゃったんだ。 昼間、会える?』 南野からは翌日の昼頃、返事が来た。 『実はここんとこ、会社にカンヅメにされてた変わりに、木曜日は休みになったんです。 それで思いっきりゲームでもやろうと思って。 藤倉さん、付き合って下さいよ~。 昼からうちでゆっくりして、夜、うちから仕事に出掛ければ?』 藤倉はそれもいいな、と思った。 南野にゆっくり会うのも、久しぶりだ。 藤倉は 『分かった、行くよ! 昼飯は奢ってやるから、晩飯奢って!』 とトークした。 南野からは、ウサギが胸の前でバツマークを作っているスタンプが押されて来た。 藤倉が翌日の火曜日、『Sweet Heat』に出勤すると、いつもと何ら変わりは無かった。 田崎と三上がそれぞれ「大変だったな。大丈夫か?」と声を掛けてくれた。 藤倉は笑顔で「ご心配おかけしました。大丈夫です!」と答えた。 緒方からも謝られたりはしなかった。 朝礼で、藤倉は顔に湿布をしているから、それが治るまではバックヤードの仕事に専念する、と言われただけだ。 ただ橘に店長室に呼ばれて、『お見舞い』と書かれたのし袋を渡された。 藤倉は「結構です」と言ったが、橘に強引に持たされた。 ロッカーでのし袋を仕舞う時、中身を確認すると五万円入っていた。 それから橘は 「有休を3日間増やすから。 連休でも何でも藤倉ちゃんの好きに使え! 緒方も文句は言わねえ」 と言ってくれた。 その日は女の子からの呼び出しも無かった。 柏原に「藤倉の怪我が治るまで、無いから」と言われた。 藤倉は通常の残業をして終電で帰れた。 それに、南野から転送された如月からのメールも届いた。 『Fw.悠真へ 砂の城、見てくれた? 来年はもっと上手に作るから! 俺は休み明けで、仕事が山どころじゃありません。 当分、メールも出来ないかもしれないけど、心配しないで。 その代わり恥ずかしいけど、俺の写メを添付します。 残業中リフレッシュルームで同僚とバカ話している時、先輩が隠し撮りしたんだって! 俺は見ての通り、元気です! 玲那』 そこには。 手を叩いて爆笑している如月の画像。 藤倉の心が一気に明るくなる。 藤倉は何十分も如月の画像を見て、メールを削除すると、ゴミ箱からも消去した。 翌日の正午頃、九条からメールが届いた。 相変わらず無題で、 『明日は20:00に亀戸駅前のコンビニに行って下さい。 屋根付きの白い軽トラックがお迎えに上がります。 ドライバーの名前は沢口(てつ)。 沢口は藤倉さんの名前も顔も知っています。 沢口の顔写真とコンビニまでの地図を添付しておきます』 とあった。 沢口の画像を見る。 日に焼けていて、爽やかな笑顔で笑っている。 ちょっと見、サーファーのようだ。 剣持と関係があると言っても、剣持は表向きは三洋商事の社員だ。 その関係の仕事かもしれない。 藤倉はホッとして、スマホを充電器に差した。
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