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そうこうしている内に、気付いたら私は大人になっていた。
進学して就職して、その過程であなたと出会い、恋をして結婚した。そしてお腹の中に新しい命が宿った。
予定日を四日ほど過ぎて、ようやく陣痛がきた。家で一人でいる時だった。
まだ動けないほどの痛みではなかったから、病院に連絡をしてタクシーを呼んで、車中であなたにも知らせた。あなたはすぐに病院に駆け付けてくれたっけ。
お腹が痛い。ものすごく痛い。お腹の中身を大きな両手で握られ、力一杯絞り上げられるような痛み。雑巾にでもなったみたい。その上、痛みはどんどん増していく。痛くて泣いたことはそれまでにもあったけれど、叫んだのはこの時が初めてだった。痛い痛い逃げたい。
十数時間続いた痛みの果てに、ずるりと大きなものが体の中から引き抜かれる感覚があった。あぎゃあと泣く幼児の声が聴こえる。医師や看護師が周辺を動き回る、慌ただしい物音と早口で指示を出すいくつもの声。
「元気な赤ちゃんですよ」
朦朧とした頭を奮い立たせて目を開けると、看護師が泣きじゃくる赤ちゃんを抱いている。小さい。ついさっきまで私の中にいた、小さい赤ちゃん。ちゃんと産まれたんだ。元気に出てきてくれたんだ。
ほっとして深く息を吐くと、悲鳴を上げていた身体から苦痛が遠のいていく。
けど、遠のいていったのは苦痛だけじゃなかった。
意識が遠のく。薄れ始める。
潮がざあっと引いていくような、激しい虚脱感が私を襲った。一仕事終えた後の脱力感とは全く質が違う。体や頭を動かすエネルギーを根こそぎ持って行かれるみたいに、みるみる力が抜け落ちていく。さっきまで目一杯力んでいたのに、今は自分の意思では瞬きすら出来ない。
眩暈がする。仰向けになっているのに、体が誰かにぐるぐる回転させられているような感じがする。
まずい。産後の処置をしていた医師の声色が逼迫したものに変わる。周囲に人が集まっていっそう騒がしく動き回り、誰かが叫ぶ悲鳴に近い声も聞こえてくる。
「出血が」、「母体が」、「子宮が」、「輸血を」。
断片的な単語だけが耳に入ってくる。
でも、その全てが遠い。砂の膜で覆われたみたいに、私は私以外のすべてのものと、隔てられていく。
そして私の意識は、暗闇の中に落ちた。
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