パティシエの私

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パティシエの私

 私、奏小波(かなで こなみ)、25歳。もぎたてフルーツのようにフレッシュな一年目の後輩にフルーツカットの指示を出す。 「この仕事もお互い五年目だもんね。小波、ベテランの風格あるもん」 「まだまだだよ、真夏(まなつ)」 「小波は謙虚すぎ、まあそこがいい所でもあるけど。私らの時って先輩ら厳しくてピリピリしてたよね。その点、奏小波先輩は優しくて頼れるから後輩もついてくるんだよ」 「それ盛りすぎで言いすぎだってば」  その綺麗にカットされたフルーツを手に取った。  倉田真夏(くらた まなつ)。隣でまっさらなスポンジに手際よく生クリームを塗っていくのは同期で私と同じ25歳。  真夏と出会ったのは製菓専門学校の学食。偶然隣の席になって意気投合した日からのはじまり。それから彼女とは日々の辛いことも楽しいことも共有し、切磋琢磨しながら日々を過ごしてきた。  申し合わせたわけでもないけれど専門学校卒業後は彼女と同じホテルへ入社。ペストリー部門へ配属となる。  パティシエ見習いとして先輩の厳しい指導にも何とか耐えてこれたのも、こうして一人前に後輩に指導する立場にいることも、真夏が隣にいてくれたからだと思う。 「小波ちゃん、休憩入っていいよ」 「ありがとうございます、休憩行ってきます」  声をかけてきたのは星矢悠陽(ほしや ゆうひ)先輩、自分より二つ年上だ。  私と真夏が新入社員としてここへ配属になった時からいた人で、何かと気にかけてくれる後輩思いの優しい先輩。  あの頃の辛い修行の日々を思う。星矢先輩の励ましがあったからこそ何とか踏ん張ってこれた。  厳しく指導してくれた長年いた先輩達はほとんどいない。他のホテルへランクアップして移籍したり、海外の有名洋菓子店へさらに修行するために渡航したり、自分のお店を持ち独立して巣立っていく。技術を余すことなく教えてもらった先輩達はそうして去っていった。  厳しく鍛えてくれたお陰でこうしてこの場所に立っていられるんだと思える。気軽には追い付けないし追い越せないんだ。そう思うとやっぱり先輩達の背中は大きいものだったんだと実感する。  今、私は教える立場にいる。自分の指導で先輩達から学んだ技術を正しく伝えられているだろうかと、不安に思うことがないと言えば嘘になる。いつも不安だらけ。ただ優しいだけの指導では後輩のためにならないんじゃないかと最近は考える。私もそうであったように、修行する上で時に厳しくあることも必要なのかもしれない。  星矢先輩からは『小波ちゃんらしい指導でいいんだよ』と、常日頃迷う私に伝えてくれることが心の支えになっているのだけれど。  なりふり構わず、ただ先輩達に追いつきたくて突っ走ってきた新人見習いの頃とは違う。指導する立場とはとても難しいんだなと痛感する日々。心身ともに疲労が溜まっていくのを体中で感じていた。  あれほど恋焦がれるように憧れていたお菓子を作る職人になったのだから。あれほど夢にまで見たパティシエの世界に足を踏み入れているじゃないか。きっとその行く先には、自分の追い求める理想があると信じて前に進むだけなんだ。 「小波ちゃん、僕も休憩一緒にしてもいい?」 「お疲れ様です。はいどうぞ」  走ってきた星矢先輩は短く息を切らす。 「先輩の制服、いつも汚れてなくて綺麗ですね」 「僕は仕上げ専門だし、そんなに汚れないかもね」  制服は帽子から靴に至るまで白で統一されている。基本毎日ノリの効いた制服を着る。パリッパリのハリ感が体に馴染むまで毎回慣れないのは否めない。    先輩は何時も優しい。私だけにじゃない、誰にでも分け隔てなく優しかった。だから先輩にいつも甘えて仕事の悩みや愚痴ばかりこぼして。  きっと私みたいな女子は鬱陶しくて根暗な子って思われてるんだろうなって思う。  いつからこんなに考え込むようになっちゃったんだろう。私の青春時代はもっと向日葵みたく前向きで明るかったはず。   「何か気分悪そうにみえるけど」  星矢先輩が心配そうにのぞき込む。 「大丈夫です。でもちょっと疲れが溜まってるのかもしれません」 「悩みあるなら、僕でよければ話聞くよ」 「はい、ありがとうございます」   今は星矢先輩の優しさが疲れた心にすっと染み入る。がむしゃらに頑張ってきたパティシエ見習い時代とは違い、一通り技術を学び一通りまんべんなくこなしていけるようになった。それでも心の穴は何かが抜け落ちたように、どんどん広がっていくばかり。 「もうすぐクリスマスシーズンだから、うちのホテルも忙しくなるね」  星矢先輩は無糖の紅茶飲料を口に含んだ。  クリスマス時期はホテル内の各飲食店も毎年競い合うように創意工夫に励む。 私もクリスマス特別メニューの試作品案件を色々と考えていた。 「さらに忙しくなりますよね。スイーツも品数増えますし」 「小波ちゃんも今回の企画でアイデア練ってたもんな」 「私の考えたスイーツも商品化されるから楽しみなんです」 「僕も楽しみにしてる」  束の間の休憩を終え、星矢先輩と持ち場へ戻った。      
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