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ケーキにそっと忍ばせて
「小波ちゃん、おかえり」
「ただいま。雪夜くんもお疲れ様」
藤間雪夜、25歳。
通っていた専門学校は違ったけれど同期入社のうちの一人。入社して以来、真夏と彼と私の三人でお互い励まし合ってきた仲間だ。
雪夜くんは見た目も性格もふんわり柔らかな印象で、おっとりしている。愚痴ばかりの私とは真逆で聞き上手で尚且つ話上手。彼と一緒に過ごしていると落ち着けるし穏やかになっていくのがわかる。
彼のパティシエとしての腕は実はかなりのもの。
大なり小なりコンクールに出場しては様々な賞を取ってくる。将来を期待される若手パティシエとして名高く、すでに雑誌などでも幾つか取り上げられているほど。
ケーキを作るときの雪夜くんの表情は真剣で、この世界で生きていくんだという強い志を持つ。そこにはいつものふんわり感は感じられない。
その姿に日々圧倒されるから自分も頑張ろうと奮い立たせている。そうやって気持ちは前向きなはずなのになぜか不安がつきまとう。
いつかは雪夜くんも、もっと条件のいい職場へ転職するかもしれない。
有名洋菓子店を求めて海外留学するかもしれない。
自分のお店を構え独立することだってあるかもしれない。
五年目になって将来の夢をぼんやりと考えることもある。
今は自分にとって踏ん張り時なんだ。
だから今だけでもいいの、雪夜くん。
どうか私の目標とする人にならせてください。密かなお願いです。
「小波ちゃん立案のケーキ、いくつか試食作ってみたんだけど食べてみない?」
雪夜くんはそう言って、業務用の大型冷蔵庫を開けた。
「えっ、嘘! 雪夜くん作ってくれたんだ!」
「そだよ。小波ちゃんの考えたケーキ作ってみたくてさ」
彼の気持ちが素直に嬉しかった。
「ここじゃ食べれないから」
お皿を手にした雪夜くんは厨房を出るとすぐ隣の倉庫部屋に入った。彼はマスクを外す。
「どーぞ召し上がれ」
目の前には自分が立案したケーキが真っ白なお皿の上に三つ、ちょこんと乗っている。マスクを外してポケットへしまい、フォークでひと口分取って口へ運んだ……どうしたんだろう。嬉しいのに何で涙が出るんだろう。とても美味しいケーキだから笑わないといけないのに。何で涙が出てくるんだろう。
「どした?」
雪夜くんの思いっきり優しい声が耳にやたらと響く。
だめだよ、しっかりしろ奏小波。
何で弱気になってるの。
踏ん張るんじゃなかったの?
「小波ちゃん──」
雪夜くんに突然肩を抱かれた。
「小波ちゃんごめん」
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