月明かりの下で

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月明かりの下で

 電話を切って枕に顔を突っ伏した。我慢していたものが一気に押し寄せる。  高三の夏、大好きな彼が突然死んだ。  辛くて苦しくて、悲しみを引きずりながら生きている自分を可哀想と思った。悲劇のヒロイン気どりでいた。しかも恋に臆病だからって理由をつけて逃げて誰とも真剣に向き合おうとしない。  悔しい、こんな自分が悔しい。  ぴしゃりと目を閉じると熱いものが頬を濡らしていく。必死の思いでやってきた17歳の水瀬彗が私に伝えたかったことを瞼の裏に映した。 【ずっと俺を好きでいてくれてありがとう。25歳の小波は綺麗で、もう一度君に一目惚れしました。こうして会えて幸せです。きっと君は幸せになれるから。俺を信じて小波。目、閉じて──】   忘れてない。鮮明に思い出せる。そう言ってくれた彼を信じないでどうする。彼が見守ってくれていると思えるから頑張ってきたんでしょう。大切なことを伝えてくれてありがとう、彗。  涙を雑に拭ってスマートフォンを手にする。文字をタップする指先が震えて中々反応してはくれない。耳元にあてると『小波ちゃん?』と星矢先輩の声が聞こえてきた。偶然近くの居酒屋で飲んでいて今から帰る所という先輩に、5分後に会う約束を取り付けた。泣きはらした顔を鏡でチェックすることも忘れて家を飛び出した。   「小波ちゃん!」と、こちらに手を振る人影を見つけ走った。 「急に呼び出してごめんなさい」 「全然」 「連れの方は?」 「今日はもう解散したから気にしなくていいよ」という星矢先輩。逆に気を使わせてしまった。 「飲んでた店が君の家の近くで良かったな。帰りは家まで送るから」  先輩から強くお酒の香りがした。 「ありがとうございます」  ふと、着の身着のまま出てきた自分の格好を今更ながら恥じた。 「僕、酒臭いよな」 「はい。あ、いえ大丈夫です」 「もしかして泣いてた?」 「すみません、色々あって」  顔色も夜の闇に溶け込んでしまっていると思いたいから、空が暗くてよかったと思う。 「星矢先輩に話があります」  私を見つめる視線は相当酔っていた。 「先輩に、好きな人はいるのって聞かれたときなんですけど、適当にあしらってしまったこと本当にごめんなさい」  今までの分も含めて頭を下げた。 「小波ちゃん、頭上げて」 「亡くなった彼のことも尋ねてくれてたのに。私、先輩には関係ないって突っぱねました」 「もう、それはいいよ」 「17歳で亡くなった彼のことは今でも好きなんです。その彼と同じくらいに今、好きな人がいます」  ついに言った。もう先輩の顔は見れない。  先輩は「僕が今まで曖昧にしてたからだ、僕の方こそごめん」と冷静に言う。そしてお酒の香り。 「僕は小波ちゃんが好きだよ。本気でずっと好きだった。ぶっちゃけた話すると、二人の彼から君を奪いたいって思ってる」   新しいものに取り替えられた街路灯が暗闇をよく照らしていた。  ゆっくりと顔を上げて星矢先輩を正面から見上げる。瞳が宝石みたいに綺麗と思った。  間近に迫る彼。熱いものを宿した眼差しに圧倒されて息をするのも忘れそうになる。想定外に想いは強い。  真夏が言っていたこと。私に向ける特別な視線。今、それが確実なものと知る。このまま抱きしめられそうな距離感に本気さが伝わる。先輩は「ごめん」と呟きながら私の手首を掴む。   「僕は恋愛対象じゃないんだなって何となくわかってたけど……でもやっぱり僕じゃだめなのかな?」  掴まれたところに熱が停滞する。このまま暴走して手首ごと持っていかれそうな勢いだ。 「私、二人の彼が好きなんです。だから先輩と付き合うのはできません。ごめんなさい、ごめ──」  泣きすぎて腫れぼったくなった目元はもうパンパンで限界を超えた。 「ごめん、ごめん小波ちゃん! 僕も未練タラタラで困った奴だ。でもはっきり言ってくれて良かった。踏ん切りもつく。辛い思いさせてごめん」 「ひうっ」  私が静まるまで、星矢先輩は暗闇の方へ背を向けていた。先輩は自動販売機でオレンジジュースを二本買い、そのうちの一本を受け取る。飲み終わる頃には落ち着きを取り戻した。まだ私に遠慮して背を向けている。 「その、色々醜態を晒しましてすみません」 「こちらこそ、って僕も色々醜態晒したか」  と、ほろ酔い気分の先輩は朗らかに笑う。 「星矢先輩、そのままでいいので聞いてください。自分にとって先輩は、パティシエとしても人としても尊敬する大切な人です。ずっとそう思ってきました。これからもそれは変わりません」  重みのある誓いの言葉を受けた先輩は、こちらへ向き直る。泣き止んだかを確認するような視線が恥ずかしい。    「ずしっとくる言葉だな。責任重大。でも嬉しい。考えてみたらそうだよな……小波ちゃん、僕のことそんな視線でずっと見てくれてたもんな」  と天を仰ぐ。 「ストーカーみたいなことしてすみません!」  先輩はいきなりブブッと吹き出した。 「そういうとこなんだよなあ、可愛い。二人の彼が羨ましいよ」  先輩、相当酔ってると思います。 「ああ、僕かなり酔ってるな。さてもう遅いし帰ろうか。僕は後輩に抜かされないように引き離しにかからないとな」 「私は追い越すつもりで先輩の背中を追いかけていくので」 「言うねえ小波ちゃん。でもありがとう」  細長い指で握手を求められたので、私はすぐにその手を握り返した。 「好きになってくれてありがとうございます」  尊敬する先輩へ敬意を込めた。  約束通り、家まで送ってもらい別れた。部屋へ入るなり体をベッドへ投げる。もう動く気力すら残っていないけど彗くんからのラインは開いた。    『小波さん、本日無事に卒業しました。打ち上げで焼き肉行ったあとカラオケでした。小波さんに伝えたかったので……今日は眠いのでこのまま寝ます。ちゃんと明日の朝シャワー浴びますから。また明日、おやすみなさい』  顔が見たい。会いたい。イルカの抱き枕を抱き寄せる。 『彗くん、卒業おめでとう。自分のことのように嬉しい。ゆっくり休んでね。メイクだけ落としたら寝ます。私もシャワーは明日の朝にします。おやすみなさい』  沢山泣いて涙とメイクが合わさった顔だけはさすがに洗いたいと思い、起き上がって洗面室へ向かった。  
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