春をまとう

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春をまとう

 夢中で何かをしていると時間が過ぎるのがとても早いと感じるこの頃。そう思うのも歳を重ねている証しなのかと思う。調理場の壁掛け時計を見れば勤務終了5分前となっていた。   「お疲れ」  コック帽を取った雪夜くんがこちらにやってきた。 「お疲れ様」 「小波ちゃん、ちょっと来て」  雪夜くんに手招きをされたので調理場を出た。 「これからデートだろ」 「えっ」 「幸せオーラが滲み出てる。うん、隠せてない」 「う、わぁ……」 「もっと言うなら最近綺麗になった感じする。好きな人の影響だろうね」  いやあ恋ってすげえな、とでも言いたげなドヤ顔の雪夜くんに降参した。 「雪夜くん、たまに恥ずかしいことさらっと言うよね」  「これからは素直に生きてこうと思ってる」 「その心がけは大切だと思う。私もそうありたい」 「そう思うなら、ちゃんと自分の気持ち伝えていかなきゃ前には進めないよ」 「心に留めておきますっ」  親友の忠告、肝に銘じます。  雪夜くんに「行ってらっしゃーい」と笑顔で送り出された私は更衣室へ行き、自分のロッカーを開け放してから制服を脱いでいく。 (素直に生きてこう……か)    更衣室に設置された姿見に映る自分を改めて見た。  前髪はパッツンぎみな私。一度長い髪をバッサリと切っている。今は伸びて肩より下くらいになった。束ね癖のついた髪の毛は洗面台に常設されているヘアアイロンを使って整える。  専門学校に通っていた頃の私は学校以外は家に籠もり、塞ぎ込むように外へ出かけなかった。家と学校だけの往復に、華やかなアクセサリーもバッグも靴も新しい服も必要なくて、学校は調理服、家ではスウェットがあれば十分という身なりで過ごしていた。今思えば無頓着極まりない。  その学校で倉田真夏(くらた まなつ)と出会う。明るくて飾らない、前向きな所が一瞬で好きになった。  私の酷く荒んだ格好に見かねた真夏は、学校が休みで都合が合えば賑やかな場所へと連れ出してくれた。最初はほぼ強引に。でも彼女とのショッピングは実際楽しくて、いつの間にか自分でも着たいと思う服を目で追うようになっていた。    元々フェミニンな服を好む私。今日はいつも以上にお気に入りの洋服に身を包む。柔らかな素材が着心地のいい細身なグレーのパンツに、淡い桜色のゆったりとしたロングニットを着る。もうすぐ訪れる春を意識して清々しい気持ちで職場をあとにした。
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