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突然の訪問者
「あの──……奏小波さんですよね?」
ホテル敷地内から歩道へ出てすぐに、私をフルネームで呼ぶ声がした。誰だろうと振り返る。高校生……いや中学生かも。制服姿の女の子が一人、ぽつんと立っていた。
「はい、そうですけど……失礼ですけどどなたでしょうか?」
警戒しつつ丁寧に。自分より遥か年下の女の子と、どこかで接点あったっけと考えるけど思い出せない。
「突然声をかけたりしてすみません。こう言えばわかってもらえるかと思います。私、水瀬彗の妹の水瀬瑠璃です」
「あ──」
思わず息を呑む。
彼女は「初めまして」と頭を下げてから向き直り、背筋をぴっ、と伸ばした。
そうだ、彗には10歳離れた妹がいる。彗に写真で見せてもらったくらいで面識はない。年齢的に今は中学生か、幼かった頃の面影は全くない。
私は彗が亡くなったとき、お葬式には行かなかった──ではなくて、行けなかった。意識も朦朧として辛すぎて、もうどうやって過ごしていたのかすら記憶にない。
「小波さんのこと、兄がよく話してくれたんです。その頃の記憶は曖昧ではっきり覚えてなくて申し訳ないんですけど」
とてもしっかりした礼儀正しい子という印象で、真っ直ぐで真面目な所は彗と似てるかもと思った。
歳がうんと離れているせいか妹にはつい甘くなると言っていた彗。その溺愛っぷりがお茶目だったのも懐かしい。自分も姿勢を正した。
「こちらこそ初めまして、瑠璃ちゃん。今、正直ちょっと驚いてる」
「そうですよね、突然やってきて声かけたりしたら驚きますよね。ほんとにごめんなさい」
ぺこりと頭を下げる彼女。ポニーテールにした艶やかな髪がさらりと前へ滑り落ちる。写真でしか会ったことがない当時7歳だった彼女は中学二年生になっていた。
「突然、どうしてここに来たのかって思いますよね」
確かにそう思ったので頷く。
「ちょっと調べたり聞いたりして小波さんがここで働いてるのを知りました。本当に勝手してすみません。今日は小波さんに伝えたい事があって来ました。ご迷惑かと思うので会うのもこれで最後のつもりで……」
若干14歳の彼女から覚悟のようなものが見えた。
「正直、兄の死は私達家族には悲しすぎてしばらく受け入れられなかったです。自分も幼いなりに悲しかったのを覚えてます。でも今の自分ならわかるんです。兄と付き合ってた小波さんはもっと悲しくて辛かったんじゃないかって──」
彼女は目頭を寄せ涙ぐむ。
「七年経って、やっと家族も前を向いて普段通りに生活してます。だけどたまに兄の部屋を見ると泣いちゃいますけど。小波さんは兄のせいで今でも辛い毎日を送ってるんじゃないかって思ってました」
当時の水瀬家の様子を知る。生活を共にしてきた家族の一人が、あっけなく無念の死を遂げたのだ。受けた痛みや悲しみがしこりとなっていつまでも残るだろう。彼女は気丈に振る舞う。
「小波さん。兄を好きになってくれてありがとうございます。最後に小波さんと思い出を作れたから兄は幸せだったと思います。兄のことは忘れて自分のために新しい恋をしてください。それを伝えたくて……」
瑠璃ちゃんそれは違う──と思った。
「瑠璃ちゃん」
「はい」
緊張した面持ちでこちらを見る。
「私、お葬式にも顔を出さないで非常識でごめんなさい」
無礼を詫びるつもりで頭を下げた。
「あ、やっ──そんなこと全然気にしてませんから! 頭上げて下さい!」
「何で来なかったか理由聞いたり、問い詰めたりしないのね……」
彼女は思いのほか大人びていた。この年頃だった自分は「何で、どうして」ってやたら質問攻めだったから。
「小波さんは理由があってそうしたんだと思うから、だからあえて聞かなくてもいいんです」
「瑠璃ちゃんは優しいね。私、意地悪な質問したから幻滅したでしょう」
「いえ、これっぽっちもそんなこと思いません!」
彼女が笑うと少々尖った犬歯が見えた。
「笑うと本当に彗とよく似てる。でもね瑠璃ちゃん、自分が新しい恋をしても彗のこと好きでいたいの」
「え?」
彼女は予想通りに驚く。
「辛い気持ちが出てこないように蓋をして鍵をして生きてきたの。楽しくなくても作り笑いしたりね、辛いのは自分だけです──みたいにずっと引きずってた」
彼女は自分もだと言わんばかりに唇をかみしめ頷く。
「瑠璃ちゃん。私、好きな人がいるの」
「わあすごい! 小波さん、好きな人いるんですね。よかった、ほんとよかったあ!」
潤んだ瞳がぱあっと輝いて、両手を合わせる。まだ本当の恋を知らない、14歳のあどけない表情だ。
「しかも私、生死を彷徨う事故に遭ってるの」
「ええっ──!」
去年のクリスマスイブに起きた大事故の惨状を彼女に話した。懇々と生中継する事故現場をニュース番組で見たという。悲惨な現場に目を塞ぎたくなったとも。
彼女の兄である彗が生きていた七年前の世界にタイムリープした不思議な体験話をしたあと、彗から受け取った青い組紐のブレスレットを見せた。
「ああ、それっ──」
愛くるしい目をこれでもかというくらい見開く。
「それ、兄がいつも手首に巻いてました。祖母からもらったものです」
「そんな大切なものだったんだ。でもこんなファンタジーみたいな話、信じられないと思う」
「いえ小波さん、私は信じます。そういう体験談、雑誌で読んだことありますし。しかもそのブレスレット、棺の中で眠ってる兄の手首に私がつけましたから──」
「そ……だったんだ」
尚更ただの夢ではなかったと証明された。
「兄ならそうしたかもしれません。だって大好きな小波さんが死んじゃうなんて一番悲しいことだから」
「そう言ってもらえると嬉しいな」
「えへへ」
「事故に遭って、自分が昏睡状態のときに傍にいてくれた人が今の好きな人なの」
彼女は、再びわあっと歓喜の声をあげる。
「彼、嫌な顔せずに私の話聞いてくれてね」
「優しい方ですねえ」
「彼、彗のこと何て言ったと思う?」
「え、えーっと何だろう。難しいです。ベタに『凄い』とかですかね?」
「まあそんな感じ。彗のこと、『純粋にカッコいいって思ったし尊敬しました』って言ったの。そんな彼に惹かれたのかもしれない」
つい惚気を口走る。
「へえ、ますます素敵ですねえ」
彼女の動きに合わせて制服のスカートのひだも揺れる。
「だからね瑠璃ちゃん。私の中にいる水瀬彗も消えることはないし、この先もずっと大好きなの。好きなまま別れたの、忘れられるわけないよ。だけどそれ以上に今の好きな人も大切にしたい」
大切な人の命が突然奪われた痛みは何年経とうが消えることはない。それでも残された人は前を向いて生きていかなきゃと立ち上がるしかないのだから。
「小波さん。今はちゃんと幸せですか?」
幸せだよと答えた。
「正直言うと思い出して泣く日もあるよ。でも夢だったパティシエになって、沢山の仲間に囲まれて幸せに生きてる。だから大丈夫」
彼女は「それならよかった、よかったです」と声を詰まらせながら言う。
「瑠璃ちゃんはもっと辛かったよね……頑張ってきたね」
彼女は華奢な肩をすくめ息を軽く吸い込むと、我慢していた涙が零れた。返事がなくてもどれほど深い悲しみを抱えて生きてきたのか、わかるから。
「小波さんと会えたし、こうして話せたから嬉しいです。兄が好きだった人が小波さんでほんとによかった。好きな人との恋もうまくいくように遠くから応援してます」
そう言われた自分は手の中にある組紐へ意識を飛ばした。
ねえ、彗。これからも瑠璃ちゃんと会いたいって思ってもいいのかな。最愛の兄を失った悲しみは計り知れないほど深い。でも傷同士を舐め合って生きるんじゃない。心から幸せだねと思える未来にするために会いたいの。
(小波の好きにしたらいいよ)
……彗ならそう言うかな。
「瑠璃ちゃんがもしよかったらでいいの。時々こうして会えないかな。ああ、勿論断ってくれても構わないからね」
「えっ、いいんですか! 凄く嬉しい! 私も会いたいです!」
喜んだかと思えば、テンションは急降下していく。
「瑠璃ちゃん?」
「私は小波さんと会って話せるだけでも嬉しいけど、私と話してたら兄を思い出して辛くならないかなぁ、とか……」
なるほど。不安要素はそれだったか。
「私は瑠璃ちゃんに会いたい。辛いって思うなら、それだけ彗が好きな証しなんだって捉える。言ったでしょう、私は水瀬彗を大好きだし忘れたくないって」
「はい。小波さん、ありがとうございますっ」
別れ際、お互いのアドレスを交換し合う。
「すぐに返せないときもあって申し訳ないけど、気長に待っててもらえれば」
「いえ、それはもう小波さんの手隙のときで大丈夫です。でも待ち構えてるかもです……へへ」
彗が溺愛していたのも頷ける納得の可愛さである。
彼女は、さよならと大きく手を振って雑踏へと消えていった。彼女が見えなくなるまで見届けたあと、ハッとして腕時計を見れば、16時に待ち合わせなのに10分ほど過ぎていた。
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