雪夜くんの好きと、私の好き

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雪夜くんの好きと、私の好き

 雪夜くんの髪が私の左肩に触れる。  どうしようもない緊張感が襲う。   ついさっき雪夜くんのことを目標の人でいさせてくださいって願ったばかりなのに雪夜くんは違った。私のことを好きだと言って体に触れる。  彼が作ってくれた試作のケーキが本当に嬉しかった。もうとっくにボロボロに疲れきっていた私の中に雪夜くんは優しく入り込んできて、それがどうしようもなく温かく感じたから。だから私と雪夜くんの〈好き〉の感情はちょっと違うのかもしれない。 「ケーキありがとう。見栄えも良くて凄く美味しい。それと雪夜くんの気持ちも嬉しかったから」 「……うん」  彼は申し訳なさそうに離れた。 「雪夜くんのサプライズ本当に嬉しかった。だから気持ちが高ぶって泣いちゃったんだ……何かうまく言えなくてごめん」 「わかってる、僕も急にごめん。今の忘れて」 「でも雪夜くん……」 「だから泣くな小波ちゃん。このケーキ食べて元気出してこ!」  雪夜くんから無限の優しさを感じる。この先何十年経とうとも、彼に追いつけないような懐の大きさ。  敵わない……敵わないけど大切な仲間の気持ちを無駄にしないために、いつまでもクヨクヨ考えていたってしょうがない。明日は明日の風が吹くって言うじゃない。奏小波、心を入れ替えろ。  雪夜くんが作ってくれたケーキをひとつひとつ丁寧に見ていく。  クリスマスには欠かせない色、赤い苺を使った定番生クリームのショートケーキ。雪と思わせるような白いスポンジに何層にもクリームと苺がミルクレープのように重なる。上には大きな苺がどしりと構えている。見た目もインパクトも充分にある。  チョコレートケーキも外せない。スポンジもクリームも全てチョコレート。スポンジとクリームの間に大胆にも細かく砕いた板チョコを挟みパリパリとした触感を楽しむ。  私がどうしても作りたかったケーキがここにあった。  それはブルーベリーがいっぱいに詰まったタルト。紫色した小さなブルーベリーの実が所狭しと詰まり、カスタードクリームとの相性もバッチリ合う。まるで宝石箱のようだった。ブルーベリータルトが大好きだった彼のことをふいに思い出した。 「雪夜くん、これどれも本当に美味しい。こんな忠実に再現してくれてありがとう」 「お礼なんていいよ。これ考えたの小波ちゃんだろ」  雪夜くんと同じ目線で答えることができなかったのに、彼は笑顔を見せている。私が泣いたりしなかったら好きだって伝えてこなかったのかな、なんて思ったり。  彼は自分にとって親友で尊敬する人。そんな彼に対して純粋に感謝の気持ちでいっぱいだった。   恋をすること。  恋に向かない自分。  深いところにある悲しみをいつまでも引きずって生きている自分。それでも前に進みたいという気持ちはある。  もっと自分に自信を持ちたい。恋にしても仕事にしても。中途半端な気持ちでいるから恋に前向きな気持ちになれなくて、仕事では後輩の指導に迷いが生じているんだと思う。  恋をすること、人の愛を知ることに恐れている。  思わぬ告白で彼からの愛を知った。でも自分は恋に臆病と決めつけているから行動を起こす前に尻込みしてしまう。  ここ最近、親友が次々に結婚して家庭を持ち始めた。私も25歳。世間一般的に言うところの結婚適齢期にさしかかっている。そんな一般論誰が決めたんだろうって嫌になって逆らいたくなる。  周りからの『恋人できた?』『そろそろ結婚はしないの?』という無責任に放たれる言葉たち。そんな圧力と日々闘い抜き、疲れ切っているのだと自覚していた。  ケーキを食べている間、試作過程について熱弁している雪夜くん。ただ話を聞いているだけなのに気持ちが安らぐ。食べ終わる頃には落ち着きを取り戻していた。雪夜くんの屈託のない笑顔に感謝した。  
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