私だけのケーキプレート

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私だけのケーキプレート

 遠慮がちに店内へ入った。その中央には王様のように鎮座するキッチンが視界に飛び込む。私はここでスイーツ教室の講師をした。脳裏に沁みついている残像を瞼に映し出す。彼は私を気にするような素振りをみせ、足を止めた。   「小波さん、断りもなくここへ連れてきてすみません」  彼の目をみて首を横に振る。 「ここは楽しかった思い出が沢山詰まってる場所だから。気を使わせてごめんね」 「いえ全然です。ありがとうございます」  初めて受けた講師の仕事でかなり緊張していたけれど、優しい生徒さん達に恵まれ、クリスマスケーキ作りを楽しんだ素敵な時間だった。今でもあのときの感覚は覚えてる、忘れてない。心地よい緊張感に胸が躍ったことも。  今ここで私をエスコートする、20歳の愛田彗。ついこないだまで製菓専門学校に通ってた彼は、スイーツ教室でアシスタントを卒なくこなしていた。自分に向けられる眼差しがとても真剣で情熱的だったこと。宝物みたいに大切な思い出に触れるたび、瞼の奥がじんと熱くなる。  キッチン横に花が佇む。その凛とした存在感は近づくとより気高く尊いものだった。ガラスの花瓶には数えきれないほどの切り花が生けてあった。 「白いバラだね。すごく綺麗。名前なんだろう」  凛とした佇まいのバラに自分の背筋もしゃんとするよう。 「ホワイトローズです」 「ホワイトローズね、素敵。彗くんが生けたの?」  彼は親指を軽く突き立てて「ビンゴ!」と笑う。爽やか王子認定は間違いないでしょう。 「バラもいろんな品種あるよね」 「はい、色によって花言葉も違うんで、まあまあ面白いです」 「知ってたら買うときも楽しそう」 「それ次回調べましょう、小波さん」  わりと勉強家で行動派の彗くん。 「いいかも、楽しみ」  楽しみが一つ、また一つと増えていく。ホワイトローズの花びらに鼻先を近づけてクンと嗅ぐ。甘い香りが鼻を突き抜けると高貴で重厚な香りが押し寄せてきた。 「小波さん、ホワイトローズの花言葉は敬愛です」 「けいあい?」  それって〈敬愛〉のことよね、と何となく思いながら嗅ぐのをやめた。 「ここへ誘ったのは意味があるんです。まずは座って待っていて下さい」 「はい」  暫く待っていると、腰回りからの丈が長めの茶色のエプロン姿の彼がやってきた。 (スイーツ教室のときにしてたエプロンだ。彗くん、あまりにかっこよくて王子だなんて思って浮かれてたなあ、私)  ちょっと興奮気味な私をよそに彼は黙々と作業をする。  こげ茶色のクロスを広げ、よく磨かれた銀色のフォークとスプーンを並べる。メイン料理でも使えそうな大きめの平らなプレートを置く。  続いてティーポットをテーブルの端に置いてカップとソーサーの二客分をセットした。慣れた手つきで暖かいダージリンティーをカップに注ぐ。透明感のある琥珀色がどこかノスタルジックで、爽やかで花のような香りが漂いはじめる。 「紅茶をどうぞ。もう少し待っていてください」 「ありがとう、頂きます」  彼はまた奥の厨房に入っていく。ティーカップを口元に持っていくとダージリンの香りがふわっと鼻を覆う。  今更だけど他の従業員の姿が見えないし、静かであった。オーナーも不在なのかもしれない。店内には彼と二人きりなんだろうと察した。  彼はワゴンと共にやってきた。 「じゃーん、俺が作りました!」 「スイーツ教室で作ったクリスマスケーキだ!」  生クリームで滑らかに覆われたホールケーキは圧巻だった。切ったあとでのせる飾り用の苺も用意してあった。思わず立ち上がりそうになる。 「そうです」 「すごい、いつの間に作ったの!」 「今日の午前中、ここで作ってました。今日は定休日なんです。心配しないでください、オーナーに頼んだら快く貸してくれましたから」  ああなるほど、と頷く。  彼はお湯の入ったボウルにケーキナイフを浸した。ナイフの背に指をあて温度が人肌くらいかを確認する。そして水分を拭き取ったナイフをホールケーキに入れ、小刻みに動かしながら切っていく。ナイフについたクリームなどは都度湿らせたタオルで拭う。そして再びナイフを温めるという作業を切るたびに行う。そうすることで切った断面が崩れず綺麗に仕上がる。 (彗くん、面倒なことも忠実にこなしてる)  彼は緊張する手つきで六等分に切り分け、その一つを私のプレートへ置いた。 「彗くんの卒業祝いなのに私がお祝いされてるみたいね。次はほんとに焼き鳥屋さんでお祝いさせてね」 「気持ちだけで嬉しいのでありがとうございます。俺も無事卒業したわけだし、自分のお祝いも兼ねてケーキを作りました」  彼は隣へ移動してきてプレートにソースアートを施し始める。  ケーキが置かれた器に、予めカットしたフルーツを散りばめてから、三種類のフルーツソースをスプーンにのせて順に描いていく。大きさの整った苺にナパージュを塗ってツヤを出してケーキの上に置いた。躊躇せず大胆な手の動きに魅せられる。 「はい、完成です」 「絵画みたいに綺麗!」  あまりの手際のよさと彼の感性に感動して思わず拍手を贈る。 「ありがとうございます。褒めすぎですよ、小波さん」 「食べたいんだけど崩すのもったいない!」 (写真に撮っておきたいかも……)  彗くんは自分のカップに紅茶を注いでプレートにケーキを置いた。 「……よければなんですけど写真撮りますか? よければですけどねっ」 「はい、それじゃあ遠慮なく」  ああ私の心読まれてる。写真を撮って満足したところでプレートに手を付ける。切り取ったケーキを口へ運んだ。 「んんっ美味しい! スポンジもきめ細かくて甘さもちょうどいいね」 「ありがとうございます」  彗くんは胸元で握りこぶしを作って喜びをかみしめていた。  しっとりとしたスポンジはキメ細やかで口の中でとろけていく。ケーキの上にのせられた艶やかな苺は存在感たっぷり。カットされた断面は、スライスした苺と純白の生クリームとスポンジが均等に折り重なる。  ああ、あったかい。  誰かのために作るお菓子は心に残る。全力投球で頑張りすぎてたとき。同期の雪夜くんがクッキーを焼いて、さりげなく渡してくれた、今あの日と同じ気持ちだ。  自分にとってお菓子の定義とは、心を豊かにしてくれる存在であり、いつもそばにいて励ましてくれる親友、相棒、恋人的な存在である。  完成されたケーキはこのままでも美しいけど、そこへ少しずつ色を足していく未来はもっと彩って実っていくんだ。    
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