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後編
翌々日の朝、船人は海辺からはやや離れた場所にある集落へと連れて行かれた。集落の北側には島では立派な部類に入る建物があり、そこで白く肌触りが良い着物に着替えさせられる。その後に、彼は同じ建物の中にある座敷へと案内された。座敷の上座に彼を置き、そこより下座に向かって部屋の両脇に沿う形で妖怪達が並ぶ。妖怪は皆人の形をしてはいない。海に纏わる異形であった。
やがて、頭部が魚の形をした妖怪が数名、黒光りする大きな膳を抱えて現れた。
「はいはい、お待ちどうさん」
「おおっ!」
島に来て数日を経て尚、妖怪に慣れない船人は、屋敷に連れて来られてからずっと居心地が悪かったが、目の前に置かれた料理を見てそんな気分は吹き飛んでしまった。
(何処が貧しい離島だ。これ程豪勢な料理は、生まれて初めて見るぞ)
食い入る様に膳を覗き込む船人の姿を見て、魚妖怪は「待て」と命じられている飼い犬を連想し、愉快そうにからからと笑った。
「お代わりは幾らでも出来るでの。たあんと、お食べなさい」
「頂きます!」
船人が喜色満面で箸を掴んだのを合図に、妖怪達へ振る舞う酒が次々に座敷へと運び込まれる。場は一層賑やかな空気となった。
一刻半続いた宴会が終わると、次に船人は屋敷の門外へと連れ出された。門の前には座敷では見掛けなかった島民が大勢押し掛けていた。恐らく宴会に参加出来たのは島内でも高い地位にいる者のみで、今この場にいるのは一般の島民なのだろう。
船人が所在なさげに立っていると、一匹の亀がゆっくりと彼に向かって歩いて来る。大きさは異常だが、人の様な身形や振る舞いはしない、普通の亀である。その亀が船人の足元まで遣って来ると、座敷から門の外まで彼を案内した魚妖怪が、亀の甲羅に跨るよう促した。
「えっ、これに乗るのか!」
驚愕と拒絶を同量含んだ言葉だ。それに答えたのは魚妖怪ではなく、足元の亀であった。
「輿でなくて済まんの」
「その声は!」
聞き覚えのある声だ。この島に来てからずっと船人の世話をしてくれている亀妖怪のものである。だが、見た目はあの時とは少し違い、より亀に近い姿となっていた。
「そう、お前さんを導いた亀の化生よ。驚きなさったか?」
「それが本当の姿なのか」
「ほほっ、何方も本当の姿なのよ。何せ妖怪なのだから。さあ、甲羅の上に腰を下ろしなされ。お社まで送って進ぜよう」
亀妖怪はそう言って船人に尻を向ける。船人は戸惑った。
「良いのか? 亀からすれば、俺は大分重く感じると思うのだが。潰されてしまうのではないか? 暫く休んで体力も回復したから、俺は歩いて行くことも出来るのだぞ」
「大丈夫、大丈夫。それにこれも儀式の一環だからのう。他に手段はない。観念して早う乗りなされ」
「そういうものなのか。気は進まないが、それならば……」
船人は恐る恐る亀妖怪の甲羅に跨る。彼の足から力が抜けたのを感じ取った亀妖怪は、短く出立の挨拶をしてから歩き出した。足取りは力強く、歩みは思いの外速い。同じ形をしていても、やはり妖怪は普通の生物とは仕組みが違うのだろう。
彼等を囲んでいた観衆も足並みを揃えて歩き出し、程なく掛け声を上げる。
「それ、どんぶらこ、どんぶらこ。どんぶらこ、どんぶらこ」
少しばかり不揃いな合唱が響き渡る。祭りに相応しい大声ではなく、酒に侵された頭に眠気を齎す程度の音量だ。何処かしら厳かさを感じさせる。その声と足を動かす度に上下する甲羅の動きも相まって、船人は波間を漂っているような感覚に襲われる。
(これも仕来りの内なのだろうか?)
霞が掛かった頭の中で、取るに足らない疑問が浮かぶ。知る価値を感じないから、適当に結論付ける。この島は海に纏わる妖怪が多く、崇めている神も水に纏わる者だから、彼等の行う儀式も海を想起させる形になっているのだ、と。
そうこうしている内に、一行は鳥居を潜り、木々が鬱蒼と茂る区域へと入った。緩やかな坂道である為、亀妖怪の歩みが若干遅くなる。
「どんぶらこ、どんぶらこ」
「どんぶらこ、どんぶらこ」
亀妖怪を元気付ける意図があるのか、掛け声の勢いが増す。船人はそれを微笑ましく思いながら眺めていた。
暫くすると、群衆の中から別の声が上がる。
「社が見えたぞ!」
「後少しだ。頑張れ!」
楽しくも面倒な仕事が漸く終わる。船人は妖怪達に向けていた顔を正面へと戻した。
「どれどれ……」
彼がそう呟き、社殿の方を見た所で異変は起こった。船人の背筋にぞわりと悪寒が走る。全身から汗が噴き出す。鳥肌が治まらない。彼は顔を青くして項を擦った。けれども心身の異常は収束の気配を見せず、動悸の音が徐々に速く大きくなっていくばかりであった。
「どんぶらこ、どんぶらこ!」
「どんぶらこ、どんぶらこ!」
妖怪達の掛け声も速く大きくなる。人間とは異なる顔である所為で、彼等の心中を表情から察することは難しいが、何となく喜んでいるのは船人にも分かった。それが今の彼には途轍もなく不気味に感じられた。
(駄目だ。どうしてかは分からないけど、凄く良くない気がする。あそこに近付いてはいけない)
耐え切れなくなった船人は、甲羅から飛び降り駆け出す。妖怪達はどよめいた。
「あれ!」
「えびす様、何方へ行きなさる」
「ひええっ! お祭りが、儀式が!」
奇声を上げる者もいた。皆、目論みが外れて慌てている様子である。
一方、船人は悲鳴を上げたがっている口を押さえ、必死に走っていた。追手に見付からないよう、途中で林の中に入って身を潜め、蛇行しながら坂を下る。背後の状況を確認するべきなのに、恐ろしくて振り向けない。気を許し掛けた時には彼等の歪な姿を愛玩動物の如く可愛らしいとも感じたが、今はただただ化け物にしか見えなかった。穏やかで好意的な態度を見せて油断させ、食事と酒で眠気を誘い、怪しい場所へと連れ込む狡猾さ。その果てに一体彼をどうするつもりであったのか。
(騙された。騙された。あいつら、やっぱり只の化け物だった。どうして俺はあんな奴等を信用したんだ!)
傍から見れば、船人の杞憂であると思うだろう。彼は一方的に島民を悪だと決め付けて逃げ出したのだ、と。現に島民は未だ船人に危害を加える行動を取ってはいなかった。船人自身も心の片隅ではその事実を理解しており、僅かに罪悪感も覚えていた。けれども、遠くから聞こえて来る島民の会話により、彼の判断が正しかったことが証明される。
「えびすが逃げたぞ!」
「気付かれたのか?」
「大変だ、大変だ」
「まだ島からは出てない筈だ。早く見つけ出せ!」
居なくなった者を心配する際に発せられる言葉ではなかった。どちらかと言えば、獲物を逃がした時のものだろう。そう、彼は獲物なのだ。これから命を奪われようとしているのだ。
船人は逃げる為の算段をする。
(船は――駄目だ。多分奴等は真っ先に其方へ向かう。だが、島を脱出する方法は他にない。どうしたものか)
頭痛がする。彼は頭を働かせるのが苦手だ。何も考えず身体を動かしているのが好きなのだ。仕事を上手く熟すには頭を使う必要があるから、彼は良く叱られる。それに納得がいかなかったから龍宮を目指して船出したのに、どうしてこんな所まで来て苦手な作業を強いられるのか。
(逃げてから大して時間が経っていない今なら、まだ奴等の手は船まで及んでいないかもしれない)
船人はうっすらと浮かんだ涙を拭う。荒ぶる息を無理矢理鎮め、耳を澄ませて周囲の音を聞きつつ、彼は海辺へ向かって駆けて行った。
坂を下り切り林を抜けると、運良く船人がこの島に辿り着いた時に船を停めた場所に出た。遠目には船に異常は見られない。早目に壊しておけば彼の逃走を防げたかもしれないのにそれをしなかったのは、事をなす前に不信感を抱かせない様にする為か、後で島民達が利用するつもりであったのか。
(良かった。誰もいない)
船人は一度周囲の様子を窺った後に、船へ向かって走り出した。次の瞬間、背後から声が聞こえてきた。
「いたぞ!」
「捕まえろ!」
船人は舌打ちをし、足を速める。
「くそっ、間に合えよ」
妖怪達の足音は直ぐ近くまで迫っていた。だが、船人の方が僅かに速かった。彼は船の縁を掴み、歓喜の声を上げた。
「やった!」
これで助かる、そう思った時だった。大きな水音と共に波がうねり、船が彼の手から離れた。同時に、船人の上に大きな影が被さる。彼は「え?」と声を漏らし、上空を見た。
影の主は、巨大な白蛇に角と鬣と髭を取り付けた様な姿をしていた。無学な田舎者の船人は絵姿すら見たことはなかったが、この蛇擬きが「龍」であると直感的に分かる。彼は呆然として立ち上がり、無意識の内に後退りをした。妖怪達も気圧されて足を止める。片や龍の方は上体だけを海上に出した状態で、静かに船人を見下ろしていた。
ややあって、龍はゆったりとした動作で首を曲げ下ろし、船人を咥えた後に持ち上げた。
「うわあああああ――」
船人は悲鳴を上げた。宙に浮いた際、妖怪達の驚いた顔が視界に入る。その中には船人とは馴染みとなった亀妖怪もいた。彼は亀妖怪に助けを求め、手を伸ばす。しかし、彼が救済を受ける瞬間は永遠に訪れなかった。
龍は船人を高々と掲げると、首を大きく振って投げ放った。船人は絶叫と共に島の上空を飛んで行く。やがて、弧を描きながら彼が落ちた先は、今日詣でる予定であった神社の境内――正確には本殿の後ろに隠された小さな祠であった。
船人の接近に合わせて祠の手前の景色が歪み、黒く丸い穴が出現する。
「――あああああっ!」
船人は上手い具合に穴の中へと入る。すると穴は小さくなり、彼を飲み込んだまま消えてしまった。
口をあんぐりと開けて事の成り行きを見守っていた妖怪達の中から、突如「ひょっ!」という奇妙な声が上がった。それを皮切りに他の者も騒ぎ出す。
「龍神様!」
「有難う御座います、龍神様。お手数をお掛けしました」
妖怪達は島の守り神を見上げて、口々に礼を言った。龍が言葉を返すことはなかったが、問題が解決したことは理解している様で、彼は住処である海中へと帰って行った。
龍の姿が見えなくなり、漸く緊張状態から解放された妖怪達は一斉に溜息を吐いた。続いて笑声が疎らに漏れる。彼等は仲間同士で語り合った。
「やれやれ、頭の悪そうな顔をしていたのに、見掛けに依らず勘は鋭い男であったな。ともあれ、事が上手く運んで良かったよ」
「その勘の良さが己に向いてくれていたらのう」
「自分が死人であることにも気付いておらなんだものな。現世の者にしては随分と古風な身形と言葉遣いであったが、一体何百年海を彷徨っておったのやら」
「さあてな、考えたくもないわ」
人に非ざるこの島の住民は、船人の正体を一目で看破していた。彼等の言葉通り、船人は死者である。遠い過去に船出して、沖で迷って故郷に戻れないまま死に、死んだことを自覚せず魂だけの状態で海を彷徨っていたのだ。
常世、或いは「常夜」の狭間にあるこの島には、昔はよく海で没した死者の魂が流れ着いたものであった。技術の発展が要因か、それとも信仰の変化からか、現在では殆ど発生しない現象であるが、当時の名残は未だ残っている。
「まさか、今の時代に『門』を使うことになるとは思いも寄らなんだわ」
「現世では異界や怪異の存在が信じられなくなって久しいと聞く。此方側に迷い込む機会もないのであろうな」
「妖怪の儂等にとっては、寂しい限りじゃのう」
「止せやい。死霊の迷い人なぞ面倒でしかないわ」
神社の境内にある祠は、現世にあるべきではない者を本来の居場所へと送り出す為の門だ。神社の祭神である龍が作った物である。島民は流れ着いた死者を刺激しないよう「えびす」と呼んで称え、宴や祭りで持てなし、常世へと叩き出す。祠が出来た時からそういう取り決めであった。此度も同様である。今回のえびすは死者の本能で常世の気配を察知してしまった為、手順に乱れが生じたが。
「ううむ……」
不意に亀妖怪が唸る。
「どうした?」
「いやな、龍宮を信じて旅立つ者がいなくなったら、島にえびすが来なくなったということは、実は近くに龍宮とやらがあるのではないのかと」
「ひひっ、存外この島こそが龍宮であるのやもしれぬな。龍神様ならばご存じであろう。伺ってみてはどうだ?」
「それは恐れ多い」
引き攣った声で亀妖怪が返すと、他の者はけらけらと笑い出した。
「頼むから龍宮へ旅立たんでくれよ。彼方へ向かったつもりで島へ舞い戻ってきたら、儂等、どの様な顔をして出迎えたら良いのか分からんからな」
「気まずいわあ」
「しない、しない!」
亀妖怪は首と手を振って否定するが、気安い仲間の妖怪達はしつこく揶揄い続ける。
「うひひひひっ。それ、どんぶらこ、どんぶらこ」
誰かがそう囃し立てると、他の者も合わせた。
「どんぶらこ、どんぶらこ」
「どんぶらこ、どんぶらこ」
亀妖怪以外の全員がえびすを送る文句を唱え、手拍子を打ち、踊る。そうしながら、彼等は集落の方へ向かって歩き出した。
「だから、行かないといっておろうが!」
一方の亀妖怪は、肩を怒らせて仲間の後を追うのであった。
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