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彼女はもう一度首を振ってから、ふっと諦めたように笑い声を潜める。
「やっぱり心臓によくないわね、こういうこと。主人があそこで浮気してるんです」
その言葉に今しがた口に含んだ赤ワインを噴き出しそうになる。
「おえ?」
彼女の目は入口手前のテーブル席の方に向いている。先ほど立ち上がった男性に残され、二十代後半くらいの髪の長いパーマをかけた女性が、スマホを見ながらワインに口をつけている。
「今日、ここで会うことがわかったので、自分の目で確かめようと思ってここまで来たんですよ」
「会うって、ご主人と、その浮気相手がですか?」
恐る恐る聞いてみると、彼女はこくりと頷く。
「怖いもの見たさね。でもやっぱり、主人と若い女が楽しそうに食事してるとこなんて、見たくない」
それはそうだろう。内心そう呟きながら黎子さんの方をちらりと見るが、話を聞いているのか聞いていないのか、黎子さんはのほほんと赤ワインを飲んでいる。
「それで、馬鹿みたいだけれど、こうして変装してるんです。あの若い女に負けないようにちょっとおしゃれして」
確かに艶やかな黒のワンピースがよく似合っている。
「そういえば出てこないわね、あの人」
二階のトイレの方を見て彼女が言うので、さっきトイレに立ったご主人のことを指しているのだとわかった。
「まさかあの人、トイレの中で寝てるんじゃないかしら」
「え?」
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