1.最期の夏休み

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 八月五日、東京の最高気温が三十九度の暑さを記録した日の夜に、私・栗原夏月は死んだらしい。  享年十六歳とちょうど三ヶ月、若すぎる死ってやつだ。  透明なビニ傘をコンビニで買ったのは、五日の十九時頃だったはず。  持っていたはずの折り畳み傘が無かったから、止むを得ず傘を買ってスマホで決済したのを覚えてる。  ん? なんで傘が無かったんだろう?  思いだそうとすると頭の中にモヤがかかってしまう。  葬儀場の外、警察官とパパの話に耳を傾けていた。  八月五日二十三時過ぎ、出かけたはずの私が帰ってこないと、ママからパパに連絡があったそうだ。  私は、いつも二十一時前には帰っていたし、遅くなるならば必ず連絡を入れていたから。  それなのに、あの日、遅くなっても連絡をしない私に、ママが電話をしたところ、スマホには電源が入っていないというアナウンスが流れた。  長野に住むパパと春陽のところに私が行っていないかと確認後、胸騒ぎし何かがおかしいと感じ取ったママはすぐに警察に捜索願を出した。  その翌朝、東京に行こうか、というパパたちの提案は『もしかしたら夏月が長野に行くかもしれないから、そっちで待っててほしい』とママから断られたらしい。  私と思われる女の子が死亡し、病院に安置されていると警察からママに連絡を入れたのが、その日の夜。  その後ママからの知らせを受けて、七日の朝一の新幹線でパパと春陽が東京に辿り着いた頃、既に私は斎場に運ばれていたそうだ。  ママはたった一人ぼっちで、私の死を受け止めたらしいのだけれど。  残念ながら、私はその状況を全く覚えていない。  最期に見えたのは、雨上がりの銀色の三日月。  それから次に目覚めた時に見えたのは春陽の怒っているみたいな泣き顔。  だからママが私の死を目の当たりにした瞬間には立ち会えていない。  パパと春陽が長野から駆けつけてくるのを、倒れそうになりながらも必死で待っていたんだろう。  そうして二人と会えて、ようやく崩れ落ちるように眠ってしまったんだと思うと胸が苦しくなる。  ごめんね、ママ。  ただいまって元気に帰れず、本当にごめんなさい。
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