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一年のほとんどを霧に包まれ、滅多に山頂を見ることができない魔の山と言われる霧幻山は、神秘的な外観と数々の伝承から登山家たちに愛される山である。
都会の喧騒を離れて、ひと時の安らぎを求めてやって来た霧島 蓮は、山小屋を目指して先を急いでいた。
天気が良いうちに山小屋に入りたい。
遭難者が毎年たくさん出る魔の山と呼ばれるだけあって、天気はまったく読めなかった。
今は見上げれば試練の峰をはっきりと視界に捉えられる。
山の頂が見えていると、すぐに辿り着けそうな気がしてくる。
だが、歩けども、歩けども同じスケールで眼前に聳えているのである。
まるで、人生において目標の頂を目指して歩き続けるように。
気象庁の地震火山部火山監視課火山機動観測管理官である蓮は、普段火山の情報をコンピュータで集約し、指示を出す立場である。
庁舎の中で一日中デスクに向かい、決済印を押すデスクワークをしたり、来客対応をしたり、といった仕事が主で、自らの足で火山へ行くことはない。
現場に管理官が来た、というだけで混乱が起こるだろうし、書類仕事が多くて出歩いてなどいられない。
日々データを集め、些細な変化に目を光らせて会議を重ねても、自然を相手にしていると実感させられることがある。
突然の噴火の例としては御嶽山や浅間山が記憶に新しい。
直後から富士山も噴火するのではないかと騒がれた。
登っている霧幻山は休火山だと言われているが、富士山も休火山だから、いつ噴火しても不思議ではないはずである。
仕事柄、心配事で頭がいっぱいになってしまうのだが、山の爽やかな空気が気持ちを和らげてくれた。
足を止めずに両手を広げ、肺の奥まで空気を吸い込み、身体を縮めてすべて吐き出す。
自然と顔はほころんだ。
「ああ、山は良いなあ」
独りごとが口を突いてでた。
茂みにピンクのカライトソウが鮮やかに浮かび上がり、少し大ぶりのムゲンフウロが鈴なりに花をつけていた。
見とれていると足元の石がゴロリと転がって、バランスを崩した。
足元をすくわれるのもまた、人生だろうか。
目指す約束の丘が、いよいよ近づいてきた。
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