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7
朝になると、嵐がウソのように晴れ、柔らかい陽射しが降り注いでいた。
そよ風に小さな花が揺れ、空にはポッカリと浮かんだ雲がゆっくりと流れていく。
「幻影の祠が霧の中に浮かぶとき、山の神を鎮める力を宿す。
これは、霧幻山に伝わる伝承の一つです」
朝日に目を細めながら、両拳を空へ突き上げて伸びをする凜は、蓮の言葉を聞いていた。
「私、祠の裏にある時の迷宮をくぐり抜けてきたの。
細い洞窟だったから、バックパックを入口に置いて来たのだけど、出るときにはなかったから時空の歪みを抜けてきたのでしょうね」
近い将来結婚する女性が、歳をとって隣りにいる。
にわかには信じがたい話だが、彼女と肩を並べていると気分が落ち着いていた。
「もう食料も底をついたし、祠と洞窟を通って帰るとします」
何とはなしに、蓮が呟いた。
凜は双眸を見開いて、彼の横顔を見た。
「私ね、あなたに聞きたいことも、話したいことも山ほどあったはずなの。
でも、実際に合うと、こうして一緒にいるだけですべて解決した気になったわ」
約束の丘は、永遠の愛を誓う場所とされている。
心の安らぎを求めて時々やってくる蓮は、不思議な巡り合わせを感じた。
隣りにいる女性に聞けば、自分の将来を垣間見られるのだろう。
世の中がどう変化して行くのか、気にならないわけではない。
だが、この世界とは無関係に存在する、未来の世界とは別の運命を辿るのかも知れない。
だから、黙って足元の岩を踏みしめて歩いて行った。
「ふふ、お互いに、知りたいことがあるはずなのに、黙っているのは一緒よね。
あなたと結婚する前、エリートの堅物ってイメージが強かったの。
でも、ふらりと山へ行って憑き物が取れたような顔して帰ってきたり、山の伝承に詳しかったり、ロマンチストな面もあるんだなって思ったのよ」
「僕は、ずっと必死に勉強して、火山の研究をして、疲れたら山に登る。
そんな狭い人生を送っています。
最期も山で死ぬのなら、この世界のどれくらいを見て生きていくのか、もったいない気もします」
独り言のように蓮は言った。
「祠に願掛けをしましょう。
私の世界にも、あなたの世界にも、価値ある未来が訪れるように」
ポケットから取り出したお守りをぶら下げて、手を合わせた彼女は、そっとそれを差し出した。
「これは、形見の品でしょう」
「本人に言われると、変な気分よね。
いいの、あなたが作ったお守りでしょう。
これを肌身離さず持っていてちょうだい。
そして、噴火に巻き込まれないように身を守ってね」
時の迷宮は、変わらず煌めきを湛え、ポッカリと暗い穴を開けて待っていた。
「じゃあ、会えて良かったわ。
くれぐれも、自分を大事にして生きてちょうだいね」
身を縮めて、彼女は洞窟に入りかけた。
「そうだ、もし長生きできたら、ヨーロッパにでも行ってごらんなさい。
日本とは違う文化に触れて、博物館めぐりでもするといいわ」
振り返らずに、小さく右手をあげて言った。
星屑のように輝く洞窟の中に、彼女の身体が影のような黒い塊に変わり、小さくなって、そして消えて行った。
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