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夜も深まった頃、黒い木々のざわめく山奥で二人の男が懐中電灯を片手に歩いていた。
一人はがっしりとした体躯で、月明かりが半袖からのぞく上腕部の入れ墨を照らしている。もう一人はいかにも子分というように前を進む男に付き従い、周囲をキョロキョロと見渡しながらおっかなびっくりという様相で藪や小枝を手で払っていた。
「なんだミネオ、怖いのか?暗くてジメジメしてるもんなぁ。」
「タニさん、からかわないでくださいよ。獣道なんで慎重に進んでるだけです。」
そうは言ってみたものの、時折響く悲鳴のような鳥の声やまとわりつくような虫の羽音に不気味さを感じてることは確かだった。日が浅いとはいえミネオも半グレの一員としてそれなりに肝は据わってるつもりであったが、闇が覆う山に踏み入れると得体の知れぬ存在に監視されてるような気分になっていた。
「やっぱビビってるだろ?夜のキノコ狩りだと思えば楽しいぞ。ほら、これなんか食えるヤツだ。」
「そんなの食うのはタニさんだけですって。」
「んだよ。こんなウメぇのになぁ!」
と言って、タニは木に生えていた白いキノコをむしり取り、自分の口に放り込んでみせた。ミネオはその姿に飽きれながらも、やはりこの世界ではどこか頭のネジが飛んでるような人間でないとやっていけないのだろうとつくづく感じ入った。
この山に来るまでの道のりでタニから聞かされた話が反芻される。
「スマ捨て山、ですか?」
「そうだ。姥捨て山ならぬスマ捨て山。誰が言い始めたんだか知らねぇがうまいこと言いやがる。」
「はぁ。スマホひとつ捨てるのにえらく手間かけますね。」
「最新の技術をナメちゃいけねぇ。スマホは常に位置情報がサーバーに記録されてるからな。電源の切れた位置から遡って、それまでにどこをどう動いたかわかっちまうんだ。一般人には公開されてなくても、警察が令状を出せば通信業者がそのデータを提供しちまう。だからどこで電源が切れるか、どうしてその場所なのか、は慎重に考えなくちゃならんわけ。」
「だから山で捨てる必要がある、と。」
「そうだ。最近は電波が強くなって多少の山奥でも繋がるもんだ。これから行く山はここらじゃ珍しく電波が届かない山でな。」
「山行くまでのログは残ってしまうんじゃないですか?」
「ふん、それはそれでいいんだよ。スマ捨て山はもともと自殺スポットとして有名な場所だ。一人で山奥にいく、そこでスマホの電源が切れる。そんなログを見れば警察だって自殺しに行ったと考えるだろう?仮に死体が見つからなくても、可能性がある以上はその付近を捜査しなきゃならねぇ。そんな派手な動きしてたらこっちの耳にも入ってくるから次の手が打てるってもんよ。」
「・・・・そのスマホの持ち主は、やっぱりそうゆうことなんですか。」
「おっと喋りすぎたな。ミネオ、余計な詮索すんじゃねぇぞ。俺らは金もらってスマホ捨てに行くだけだ。それ以外のことは一切知らん。持ち主が全然違う山で土をかぶってるか、コンクリまみれで海の底にいるか、なんてことは知らねぇなぁ!」
タニは口を歪めてゲラゲラと笑った。
調子を合わせるようにミネオも苦笑いしたが、自分はもう戻れぬ道に踏み入ってしまったのだ改めて認識し、背筋にぞくりとした感覚が走った。
二人は電波が入らない場所に来てからも、万が一でも電波が届いてしまうことを考えてさらに深い場所まで入っていった。
「さて、だいぶ距離を歩いたしこのあたりでいいだろう。さっさと捨てちまおう。」
そう言うとタニはポケットからひとつのスマホを取り出し、足元に放り投げた。
「電源切らなくていいんですか?」
「ああ。自殺者が死ぬ前にご丁寧に電源切るっても不自然だろう。たまたま落として、そのまま自然に充電切れというのが筋書きだ。ブツンと切れるよりもその場にしばらく留まってるようなログになってた方がいい。ま、それも偶然電波を拾っちまった場合のことだけどな。これで終わりだ。車に戻るぞ。」
二人は踵を返して来た道を戻り始めた。
帰り道は一層と闇が深まってるようにも思えた。また罪を重ねたのかと非難するように湿った風が頬を撫でる。
ミネオは少しでも気を紛らわせようと、自分のスマホを取り出した。
「さすが山奥、本当に電波入りませんね。」
「・・・」
ふと見るとタニは眉をひそめて黙りこくっていた。
目に見えて足取りも重くなっている。
「えっと、どうかしましたかね。」
言うのと同時に、振動音のような鈍い音が鳴り響いた。
ブブブ・・・ブブブ・・・
スマホのバイブレーションの音だ。ミネオは直感的に思った。
慌てて手元のスマホを見たが相変わらずアンテナは圏外を示している。着信を示すような動きもない。ではタニの持つスマホが?偶然電波が入って?
そう考えてタニを見ると、ミネオは思わず後ずさりした。
タニはすでに足を止めてその場に突っ立っていた。
月の光が照らすその顔は青白く、目をひん剥いて歯ぎしりをするような苦悶の表情を浮かべている。身体はピクリとも動かず、闇の中にある何かを見つめるような視線。
そして再び音が鳴る。
ブブブ・・・ブブブ・・・
ミネオは不安を隠すように努めて明るく声をかけた。
「タニさん、ちょっと冗談やめてくださいよ。」
「・・・・すまない。」
タニは苦しそうに声を絞り出した。
何がすまないのか。誰に対して謝っているのか。そんな言い方されてはまるで。ミネオは不穏な想像を振り払うように理性を働かせた。
偶然だ。たまたま電波が繋がって、タイミングよく連絡が入っただけだ。しかしそんな都合よく電波が?自分のスマホは圏外なのにタニのスマホだけ?
ブブブ・・・ブブブ・・・
また音が鳴った。よく考えるとこの間隔はおかしい。
着信なら音は鳴り続けるはずだ。だが断続的で、なんだかワン切りを繰り返してるような。連続する着信履歴の画面が目に浮かぶ。非通知、非通知、非通知、非通知・・・
ミネオは腹から恐怖がこみ上げてくるのを感じた。まさかそんな。もしやこれは。この世ならざる者からの着信か。
スマ捨て山。一度きりではそう呼ばれるはずもない。何個も捨てられてきたはず。であれば捨てられたスマホの数だけ持ち主がいる。その持ち主たちはどうなったのか?その答えはもはや自明だ。タニが電話に出ないのは誰から来たものかわかってるからか。だから謝るのか。
出なくていいのか。出なければ彼らからの連絡は止まない。
ブブブ・・・ブブブ・・・
「タニさん、どうするんですか!出るんですか!?」
「・・・出る。」
喉を捻ったような声でタニは言った。
電話に出たらどうなるのか。彼らは何を伝えたいんだ。タニには心当たりがあるのか。あるから出るのだろう。相手が誰かももうわかってるはず。誰が。何が。スマホから何かが出てくるとでも言うのか。
ミネオはパニックになった。
「いったい何が出るんですか!言ってくださいよ、タニさん!」
タニはブルブルと震える手でゆっくりと手を動かし、胸ポケットあたりに手を触れて、ゆっくりと下の方に手を降ろし、その仕草の途中で身を強張らせ、目にうっすら涙すら滲ませて、
「クソがぁ!!」
悲鳴のような声をあげた。
ミネオはもはや頭が真っ白になり何も考えることができなくなった。怖いもの知らずで屈強な兄貴分がこんなにも怯えるように、苦しそうにしてるなんて。
山の暗闇に足が沈むような感覚に陥った。おそらくタニもそうなのだろう。一歩も動けない。まるで山そのものが巨大な闇の塊のように足を掴んで離さない。逃がしてくれない。
ブブブ・・・ブブブブ・・・ブブブブブブ ブブッ
二人をあざ笑うかのように音は頻度が増し、大きくなってきた。
タニの腹の下あたりから、ズボンのあたりから、音がより大きくハッキリと、破裂するように、
プゥ~~~~~
ほのかに漂う生温い香りとともに。
「・・・すまない・・・さっきのキノコのせいだ・・・・・」
ミネオは先ほどの悲鳴が言葉通りの意味であったことを理解した。
(おわり)
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