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帰り道
「ご馳走さまでした。おやすみなさい。」
「おやすみ。また明日、会社でね。」
ひとり歩道を歩きながら、明日香は思った。あのひとは、本気の恋心をくれたけど、自分の持っているものをなにひとつ手放す気はないのだと。
地位、名誉、財産、家族……。
明日香の身体など、売りに出してもそう高い値はつかないだろう。この資本主義経済の上に乗せてしまえば、今夜の食事代より、安いくらいなのかもしれない。
だけど明日香が明日香であるために、決して、一度たりとも、手放してはならぬものだ。
豪華な食事も、降り立ったことのない九州の旅も、手間暇かけたプレゼントもいらないの。
私と共に生きるかもしれない覚悟が、結果はどうなろうとも、その可能性も視野にないなら、本気で恋する眼差しすらいらないの。
そう思いながら、明日香は歩いた。
「愛されたい」はわがままだろうか。だったらせめて、「愛したい」。
誰の顔も、思い浮かんでは来なかった。
切ない夜だ、今夜は。秋の訪れを告げる虫が、まだ賑やかに奏でていた。
〈おしまい〉
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