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 そうそう、安い身なりと空きっ腹でさ。  貧乏って以外、特徴も取り柄も無い子だったっけ、あたし。  不運か……  確かに、ここまでスカばかり掴んできた気がする。  まず親がスカ。  稼ぎが無い男と、仕事が長続きしない女の組み合わせで、おまけに二人とも自分勝手と来たもんだ。  子供の世話を押し付け合い、結局、実質的な育児放棄……確か、ネグレクトって言うんだっけ、今?  で、学校もスカ。  給食費が払えず、子ども食堂へ通うあたしを露骨にハブりやがってさ。そんな同級生、苛められる前に苛めるしか無いっしょ。  ヤケクソで荒れて、暴れて、不良人生まっしぐら。  人生丸ごと、初めから当たりが無い屋台のくじ引きみたいじゃん。  ヘックシ。  彩音が追憶の波間を漂う間、扉から洩れた声は、少年の耳にも届いたようだ。  ヘックシ! ヘックシ!  ドリフそっくりのくしゃみは一向に止まらない。  そう言や付き合う男もスカだったわ。エエトコのボンボンで、金だけ持ってる不良のトップ。  ルックスもキャラもスカなのは承知の上だけど、あんなにアホとは……  思わず彩音が溜息をつく。    少年の方は、又、好奇心が刺激された様子で目を輝かせ、   「トイレに誰かいるんだね。出てきてよ。冷蔵庫のコーラ、飲んだでしょ?」 「ヘックシ! 全然、明るい気分になんね~ぞ、俺は」  渋い表情で扉から千秋が顔を出した。 「マジか、コレ、コーラのせいって」 「僕はもう止まったけど、お兄ちゃん、何本呑んだ?」 「3本続けて……へ、ヘックシ」 「ん~、飲み過ぎ。それ死ぬまで止まらないかも」 「ふざけんな、このガキ!」  無邪気な宣告で、幼稚な感性を逆撫でされたらしい。少年へ襲い掛かるべく、廊下から床へ飛び下りるが、  ヘックシ。  くしゃみと同時に彼は足を滑らせ、レジカウンターの前でひっくり返る。  そちらを見た途端、彩音は息を呑んだ。  千秋の足を滑らせたものが、老婆の後頭部から洩れ出す鮮血と気づいたのだ。  白目を剥いた顔と御団子にした総白髪を淀んだ赤が染め抜き、何時の間にか、間仕切り奥の上り框は血の海と化している。  少年もレジの奥を覗き見、 「ひ、ヒトゴロシ……」  年相応の怯えを露わにした。  彩音は咄嗟に少年へ駆け寄り、もがく体を力づくで抑え込もうとして、   「あ、痛っ! 又、手を噛まれたぁ!」  老婆の時と違い、今度は右手だ。  千秋は彩音が挙げた悲鳴を、逃がすな、という意味に受け取ったらしい。  少年の首を締め、ねじり、へし折ろうと力を込めた時、唐突に「あ」と気の抜けた呻きを漏らす。 「これ、何だ?」  無造作に千秋は少年を放り出した。その代わり、不思議そうに右の手首辺りを見つめる。 「ヘックシ! なぁ、見てくれや、これ」  彩音の方へ腕をかざすと、手の甲に大きな腫瘍がある。    微妙に蠢き、見る見る膨れ上がっていく表面の割れ目から、鮮やかな橙色の膿みが染み出して、   「……かゆいんだけど、すごく」  言うや否や、千秋は腫瘍をかきむしった。  破けた部分から膿みが飛び散り、付着した皮膚を橙色に染めていく。   「かいぃ……かいぃ……かゆ過ぎる」  ボリボリと……かく。  膿が飛んだ所に新たな腫瘍ができる。  そこも、かく。  又、増える。  凄惨な無限ループが続いた後、彩音の前に立つ男は、全身くまなく色鮮やかな腫瘍に覆われていた。 「あれぇ? 変だなぁ? 何か、これ……良い匂いしねぇ?」  くしゃみは治まってきた様だが、今や千秋の頭は腫瘍の塊に過ぎない。  その口と思しき辺り、赤と橙色に爛れた裂け目から声が聞こえ、 「……凄ぇ、腹減ってきたわ、俺」  残った手持ちの駄菓子を残らず頬張る。ボリボリ噛んでそれでも足りず、指先が宙をまさぐる。 「千秋、しっかりしな! すぐ病院へ連れてってあげる」 「いや、でも腹が減って、腹が減ってよぉ。もう我慢できねぇっちゅ~か」  狂おしく首筋をひっかいた指が、柔らかな腫瘍を抉り、もぎ取った。吐き気を抑える彩音の前で、橙色の膿みから一層甘い香りが散る。  千秋だった異形は口らしき裂け目へ、菓子の代わりに腫瘍を押し込み、   「うめぇ! うめぇぞ、このかゆい奴」  肉塊をクチュクチュ噛む音がするから、多分、まだ歯は残っているのだろう。  千秋のポケットから床へ落ちた菓子の包みを、少年は一つ手に取った。 「このお菓子、沢山食べたの?」 「あぁ、うまいぼう、大好きだからな」 「これ『うまいぼう』じゃないよ。ホラ、『うまいぼ』、最後の字が抜けてる」 「対して違わね~じゃん」 「い~え、一字違いが大違い。だって、おいしいイボを作る駄菓子だもん」  荒い息遣いを漏らしつつ、腫瘍の塊が少し傾いた。多分、首を傾げたつもりなのだろう。 「お腹を空かせた不運な人に、幾らでも増える御馳走をプレゼント! そんな不思議な、不思議なお菓子なの」 「幾らでも……じゃ、このイボを治す方法は?」 「ん~、食べ過ぎたら、コーラと同じで」 「し、死ぬまで止まらねぇってか!?」  答えの代わりに小さく頷く。  今や少年は、自分を殺そうとした相手を憐れんでいるようだった。  千秋だった肉魂は、不明瞭さを増していく濁った声で、彩音へ手を伸ばす。 「助けて……助けてくれよぉ、彩音ぇ……」 「ひぃっ!?」  彩音は只、後ずさるだけだ。  伸ばした指先は腐食し、溶け落ち、既に三本しかない。  声の響きは痛切だ。でも一度食ったら、やめられない、止まらない。  手当たり次第に掻き、むしり、食う。 「うめぇ……かぃい……」  成す術無く彩音が見つめる間、自身を喰い荒らし、千秋の体は見る見る小さくなっていった。 「彩音ぇ……俺、ど、う、な、て……」  最後はとうとう頭だけになり、掠れ声さえ満足に出なくなる。  そして、不思議な駄菓子による効果の最終段階なのだろう。  残った部分の腫瘍が次々と破裂、膿の泥濘へ溶けていく。そして十秒も経たぬ内、泥濘さえ蒸発してしまった。  千秋であった肉片は、跡形も無くこの世から消滅したのだ。 「どう? ここのお菓子、やっぱり不思議でしょ?」  白い開襟シャツの少年がニッコリ笑う。  あどけない、何処にでもある顔。  その瞳孔が、ふっと縦に細くなり、猫の目に似た光を放つ。  彩音の背筋を悪寒が走った。  こいつ、本当に「不運な」客か?  むしろ、駄菓子屋へ客を招き入れる側なのでは?  気付いた瞬間、足は出口へ向いていた。    無我夢中で引き戸を開け、店の外へ飛び出していく。
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