愛が見つめるその先に。

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愛が見つめるその先に。

 ありえない。  ああ本当に、ありえない! 「ああもうっ……マジで、うざい……!」  その日、私はぶつぶつと文句を言いながらアパートの階段を上っていた。  築二十五年のボロアパートは、階段を踏みしめるだけでぎしぎしと嫌な音がする。本来ならもう少し慎重に上った方がいいのは百も承知だったが、今日ばかりはそういう配慮をする余裕がなかった。  本当に、貧乏くじを引かされていると思う。  確かに自分は独身女で、結婚する予定もなくって、当然子供もいないかもしれない。だからといっていくらでも時間の融通がきくし、人の倍以上の仕事を振られてこなしきれるはずもないのである。 『すみませんが、高橋さんが産休育休に入りますので、皆さん彼女の分も頑張って仕事を回しましょう。よろしくお願いしますね』  死んだ目でそう言ったチーフの顔が忘れられない。  彼も疲れ果てているのは明白だった。正直、その宣言をしたチーフを責める気にはならない。私達契約社員が家に帰った後も、淡々と自分の仕事をこなしていることを知っているからだ。残業は、今日の段階で月百時間を超えてしまっているのではなかろうか。疲れきっているであろう彼を思えば、辛いだなんて簡単に口にできないのが現実だった。  本当に、企業体質というのは嫌になる。  立て続けに子供を二人産むことになり、産休育休明けにすぐまた産休に入ることになってしまった高橋さん。産休や育休は権利ではあるので、それを批判することはできない。年子で産んで中途半端に休み続けるくらいならやめてくれなかなと思わなくもないが、自分だって将来結婚すればどうなるかわからないのでそこをどうこう言う気はないのだ。  それよりも腹立たしいのが、数少ない戦力が一人減っているのに仕事量を減らすこともせず、人員の増員もしない会社である。  こういうことがあると結局ヘイトは休んだ高橋さんに向くし、今後結婚を考えている女性も肩身の狭い思いをするのだ。人のやりくりが難しいのはわかっているが、一人減ったのに全体の業務を減らすどころか微妙に増やして、しかも“残業は最低限にね”とかふざけているとしか思えない。一体どうやって対応すりゃいいというのか。 「サービス残業でもやれってか?ええ?ふざけんなよ、クソ……!」  口が悪いのは分かっていたが、誰も聞いていないと思えば悪態も付きたくなるというものだ。  やや乱暴に303号室の鍵穴に鍵をねじこんで、回す。あまりにも腹が立っていたので、開けた時に電気がついているという違和感にすぐに気づかなかった。 「たっだいまあ!」  子供の頃からの癖。帰ってきた時には誰もいなくてもただいま、を言う。でも今日は、まるで怒鳴るような言い方になってしまった。  その途端。 「お帰り」  誰もいないはずの部屋から、声。しかも。 「てめえなんでそんな乱暴にドア開けてんだよ。しかも悪口がうるせえ。品位の欠片もねえなオイ」 「……は?」  少年の声。私はぽかん、と口を開ける他なかった。  だってそうだろう。 「だ、だだだだだ、誰えええええええええええええええええええええ!?」  我が家のリビングのソファーに。  ででーんとひっくり返っている子供がいたのだから。
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