愛が見つめるその先に。

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「……幸せじゃない、わけじゃないわ。ちょっと、仕事がきついだけ」 「仕事って、一つだけじゃないだろ。他の仕事に換えれば?そんなに貯金ねえのか?」 「ないわけじゃないけど、でも……転職したって、うまくいくかわからないし。今の会社ブラック気味だけど給料は悪くないから」 「金が貰えても、あんたがいつも疲れてたんじゃ意味ないと思うけど」  責めるような口調ではない。どちらかというと、宥めるように言う少年。 「最近電話の声が暗いって、母さんが言ってたぜ。そんな暗い顔しなきゃいけないような仕事ならさっさとやめたらどうだよ。他の奴に迷惑かかるから?仕事を押し付けたくないから?んなの、やめたい奴全員でやめりゃあいいじゃん。何みんなして我慢して遠慮してんだよ」  彼の青い瞳が、まっすぐ私を射抜いた。 「世界はいつだって、あんた自身の為にあんだぜ。あんたが世界の為に壊れたら何の意味もねえ。……俺はあんたに、それだけ伝えに来たんだ。あんたが出会った頃、俺に行ってくれた言葉を。……最期に伝えたかったのは、それだけだ」 「ま」  待って、と。私は思わず彼に駆け寄った。 「あ、あんた、何言ってんの?母さんって……うちの母さん?なんで電話してること知ってんの?それに、その言葉って……」  覚えている。  忘れるはずがない。だって、私が大好きな漫画の、ヒーローの言葉だ。  それを、人に言ったことはない。大好きな言葉だけれど、恥ずかしくて言えるはずがないからだ。  言った相手は、人ではなくて――。 「……」  少年は黙って、窓の方を指さした。私ははっとしてそちらを振り返る。  窓がいつの間にか、開いている。その向こうに見えるのは、七夕の短冊。  まさか、と思ってもう一度少年を振り返った、その時だった。 『にゃあ……』  小さな。  本当に小さな鳴き声。  ソファーには、誰もいなくなっていた。残されたのは私と、ソファーに少しだけ残ったふわふわの白い毛だけ。 「……クロム?」  呼んだのは、実家の愛猫――オスのラグドールの名前だった。  そして、まさにその翌日の朝だったのである。クロムが二十二歳で、大往生を遂げたと聞いたのは。彼は一歳の時、虐待されていた前の飼い主から保護されて我が家に来た猫だったのである。その時、小学生だった私は確かに彼にこう言ったのだった。 『忘れないでね。この世界は、あんたのためにあるの。あんたのための世界なの。あんたが幸せになるために世界があるんであって、世界のためにあんたが壊れたら意味ないの。……私達家族が絶対、あんたを幸せにしてみせるからね……』 ――何よ。子供の姿で出てくるから、全然わかんなかったじゃない。  幸せな人生、否、猫生だったと信じていいのだろうか。  私は確かに短冊に、“久しぶりに家族に会いたい”と書いた。仕事が忙しすぎて、正月さえも会えない年が数年続いていたために。 ――わかったよ、クロム。私は……私の幸せのために、ちゃんと生きるよ。  私が転職したのは、それからほどなくしてのこと。  給料は減ったけれど、今は保護猫カフェの店員として、充実した日々を過ごしている。
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