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第10話 翼なき者
病人たちは次々に死んでいった。
「それが苦しまずに寿命を全うした、と言えるのか、私どもにはわかりません」
死ぬまでの間、病人たちは横たわったまま夜も昼もなく一心不乱にエル・ワ・ア・セイラと唱え続けていた。苦痛を訴えることもないが、水も食べ物も口にせず、眠ることさえしなかった。
口が動かなくなってくると教導師が現れ、水色の石を病人の額に押し当てた。病人は微笑みを浮かべ、時に手を空に伸ばして死んでいった。その後、教導師は激しく消耗して倒れた。
病人の連れは言わずもがなだが、野営地の近くに住む町の住人達も死を見守っていた。
教導師が身を削って「魂を導く」姿を奇跡と感じ入るか、怪しげな術と見るか、判断は分かれていたが確実に住人たちは圧倒されていた。
教導師が倒れた後は高弟が現れて説教をした。教えのあらましは王族への敬愛と天空への感謝を説くという、その地域では目新しさの無いむしろ古風なものだった。
住民の中には本心から自らの魂の安寧を願うようになった者もいて、説教の後には願いの証として様々な物が野営地に捧げられた。そのせいか教導師、弟子たち、病者から病者の連れに至るまで、質素な天幕暮らしながら貧しげな雰囲気は全くなかった。
説教の間に弟子たちによって死者は白い布に包まれ、礫砂漠に丁重に葬られた。残された病人の連れは弟子たちが世話をして一人ひとり故郷に帰っていった。
何日か経って、野営地には虹売りと最初に連れになった親子だけが残った。
母親がやつれていくにつれて、息子の方も憔悴していった。
たった二人の家族が亡くなるのだ。死にゆく者に苦痛があろうがなかろうが、残される者の苦しさは変わらない。さらに息子の中には別の葛藤があるように虹売りには思われた。
眠りもせずひとつ言葉を唱え続け、赤の他人の安心と一種の娯楽――本当に奇跡なのか詐術なのか、狭い田舎町では格好の話題になっていた――のために死を待たれているのは、はたして穏やかな死と言えるのか。
はっきりと言葉にはしなかったが、母親の世話をする息子の顔は暗く、道中での希望に縋りつくような熱はもう無くなっていた。
それでももう引き返すことはできない。
ついに母親も亡くなった。
「最初に出会った町までは一緒に戻るつもりだったのですが」
教導師に弟子入りを願い出た息子は黒い衣を着て、野営地を去る虹売りを送った。
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