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気が付くと、虹売りはじっとナギの顔を見ていた。
虹売りに連れられて遥か南方の乾いた大地を歩いていたナギは、体を取り巻く湿気を煩わしく感じて手の甲で額をぬぐった。ひどく汗をかいている。ひといき深く息をつくと肩から力がぬけていった。自然に体が緊張していたようだ。
「私は、石に触ってしまいましたが、その日の夜は頭の中にばら撒かれた鏡の欠片がきらきら光るようで、全く眠れませんでした。……私もそういう風になって……し、死ぬのでしょうか」
「おそらくですが、一度触ったくらいでは、死に至るほどのことはないでしょう。身体の弱った病人にはより強く作用したかもしれませんが……ただ、教導師の疲れ具合や、今日のあの方の様子からしても、体に良くないものだとは思います」
「あなたは、大丈夫なのですか?」
虹売りのいたわし気な視線が少しゆるんだ。
「はい。水の膜を張っていたので私どもは石には触れてはおりません。あとは布に包んでおりましたし」
今思い出してみれば質屋の主人も袱紗で包んでいたし、丹生も毛抜きのような道具を使っていて直接は触っていない。多分深代も袱紗のまま持ち歩いているだろう。しかしそれはそれで不思議が残る。
「あの刺青の男は口の中から……」
触るも何も体内から取り出してきたのだ。まともな言動とは言い難いが、隆々とした体躯に死の影はなかった。
「若様は私どもに石を残していった方の背中を見たのでございますね?」
「はい」
背中の刺青を見たということは、虹売りと刺青の男が何をしていたのかも知っているということになるが、虹売りは今、ナギの事を次期領主として話しかけている。正面切って問われているのだから、ごまかさずに答えなければならない。
「触れるだけで倒れるもの、暴れ出して倒れるもの、口にしても平気……かどうかはわかりませんが倒れることなく動けるもの、なにがどう違うのかはわかりません。そのあたりの作用の理屈は学者様がお考えになった方がよろしいことかと思います。ところで、若様はキシと呼ばれる人々をご存じでしょうか」
「キシ……ですか。いえ、知りません」
唐突に話が切り替わってナギは戸惑いながら答えた。文字も思い浮かばない。ただ音をぼんやりとだけ捉えた。
「この度私どもが回っておりましたところよりさらに南の、大砂漠で空を移動しながら暮らしている人々のことでございます」
「……空を?」
「はい」
虹売りはいたって大真面目だ。
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