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5 雨姫神(慶長)
小屋に入ってきた女は三弥と名乗った。
滑落し、大怪我を負った藤作を見つけて小屋まで運んだのだと言う。
「世話をかけました。しかしながら、華奢なあなたが大男のオレを担いでここに運ぶとは俄に信じられないのだが……」
布団から起き上がり、三弥に頭を下げながら藤作が言う。
三弥は優しい笑顔を見せた。
「一人で住んでいるように見えますが、一人ではないのです。この山に棲む生き物たちが私の生活を支えてくれますから」
そう言うと三弥は土間に降りて小屋の戸を開ける。
入口には立派な角を生やした男鹿が立っており、真っ直ぐに藤作を見つめている。
「この者がここまであなたを運んでくれました。あなたの事を心配して、様子を見に来たようですね」
三弥はそう言うと優しく男鹿の頭を撫でた。
「もう大丈夫よ」
藤作は男鹿に頭を下げた。
男鹿は藤作の動作を見てから、スッと歩み去って行った。
三弥は男鹿に手を振る。
そして囲炉裏で煮えていた汁物を椀によそって藤作に差し出した。
「食べられますか? 山で採れた物の汁物ですが。どうぞ」
汁物には山菜や茸、山芋が入っており柔らかく煮こまれていた。
藤作は夢中で汁物をかきこんだ。
「旨い汁だった。ごちそう様でした」
三弥は藤作が山に上って来た理由を聞かなかった。藤作もまた、三弥の素性を聞かなかった。
三弥の手厚い看護を受けて、藤作の怪我はみるみる良くなっていった。
歩けるようになった藤作は三弥の為に小屋の周りの畑を耕したり、小屋の修理、薪割りなど力仕事を請け負った。
三弥は藤作に読み書きを教えた。
藤作はすぐに文字を覚え、木の板に自分の名と三弥の名前を連ねて書いた。
三弥は朗らかに笑い、木の板を小屋前に立てかけた。
朝日や夕日を眺め、森の生き物と共に過ごす。
ただそれだけの事だったのに、いつしか二人の心は寄り添っていった。
三弥を思えば思うほど、藤作の胸には自分を待っている村の人たちの顔が浮かぶ。
ある晩、藤作は三弥に自分が雨姫山に上ってきた理由を語った。
苦しげな表情で言葉を紡ぎ出す藤作の背を三弥は優しく撫でた。
その時、三弥が何かに気づいて小屋の外に出た。
藤作も三弥に続く。
そして、目にした景色に絶句した。
麓の雨姫村が赤々と染まっている。
業を煮やした領主が見せしめのために雨姫村に火を放ったのだった。
藤作は崩折れて地面に膝をつき、むせび泣いた。
自分のせいだ、自分のせいだと慟哭した。
三弥は小屋に入り、水瓶から小槌を取り出した。
空に掲げて三度振る。
みるみる黒い雨雲が空いっぱいに広がり、雨姫村に降り出した。
雨は炎が消えるまで降り続いた。
言葉を失って三弥を見つめる藤作に、三弥は黙って小槌を差し出した。
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