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6 雨姫神(令和)
「雨姫村、と言う地名は現存しません。あの村は雨姫山に飲まれました」
まるで見ていたかのような口ぶりだった。
荻生は目の前に置かれた木簡を眺めた。
木簡には、藤作、三弥と言う人物の名前が削られている。
二人は夫婦なのだろうか。
館長がゆっくりと話し出す。
「藤作、と言うのが私の先祖です。藤作は雨姫村で生き残った唯一の村人でした。彼の話は代々伝わってきましたが、物語のようで信じられませんでした」
荻生は丁寧にノートにメモしていく。
「藤作は雨姫山で三弥という女性と出会い、助けられました。三弥は雨姫山で生き物と暮らす不思議な女性です。雨姫山に出向き、遭難しかけた藤作を救ったのが三弥でした。三弥が雨姫なのかは分かりません。藤作の史記には三弥、としか書いてありませんから。出会った二人は恋仲となります。しばらくは、楽しく暮らしていたようですが、雨姫しか持てない天気を操る小槌を藤作に渡したことがきっかけで事件が起こりました」
荻生は思案する時の癖で指を組み合わせ顔をのせた。
三弥は雨姫なのか。
三弥が小槌を藤作に渡した理由はなんだったのか。
謎ばかりだ。
「天候を制した者が、国を制す、そう考えて小槌を手中にせんとした領主が雨姫村と藤作を襲いました。そうして無理矢理小槌を奪うと、雨姫山に火を放ったのです」
情景を思い描いているかのように館長は目を瞑り、少しの間を置いて話し出す。
「小槌を失った雨姫の神通力がなくなったと思ったのでしょうね。領主は自分が神に取って代わるつもりだったようです」
館長の話しは淀みなく、何度も藤作の史記を読み込んだことが伺える。
「逃げ惑う雨姫山の生き物たちを救おうとする三弥と三弥を救おうと火の放たれた山に入る藤作。三弥は藤作が火の山に入ったことを知っていました。小槌のない三弥は必死で雨を起こそうとしますが、上手く行きません。三弥は愛する藤作を助けるために禁忌の祈祷を行いました。その祈りは、雨を降らせることはできるけれど、強力な呪詛が返ってくると言う祈祷です」
ただの物語に過ぎない。
そう思うのに話を聞く荻生の身体が冷えていく。
「もうお分かりでしょう。雨を降らせ、山火事を消した代償に山が崩れ、雨姫村が一気に飲み込まれました。三弥は祈祷を行った本人ということでまず呪詛の跳ね返りを受け、自ら土砂に飲み込まれたようです。藤作は、雨姫山の小さな祠に身を隠し、難を逃れたと書いてありました。祠くらいで土砂を避けられるのか甚だ疑問ですが、その辺りはよく分かりません」
荻生は館長の話から推測した。
三弥は雨山神の巫女だったのではないか。
雨山神に仕えて声を聞く。
神に近しい存在の人間。
人間だったからこそ、跳ね返りの呪詛を受けたのではないか。
山神が美弥を助けなかったのは、自分に仕えるべき巫女が藤作に恋をし、勝手に神器の小槌を藤作に渡したから。
館長の話が終わり、荻生は御礼を言って部屋を出た。資料館の椅子で、まだ眠りこけている編集者を起こすと、資料館を後にした。
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