21人が本棚に入れています
本棚に追加
1 雨姫山村(慶長)
その山の頂上は、麓からはいつも見えない。
白い白い霧と雲に覆われている。
人々はその山を「雨姫山」と呼んでいた。
「あの山には登っちゃなんねぇ。あすこは山姫様がおわす神聖な山だからな」
雨姫山裾の村々では、村人が一様に言う。
「山姫様のおかげでこの村は豊かな水に恵まれとる。雨姫山の山姫様を怒らせると、途端に日照りに合うぞ」
「それどころか、水攻めにあうかも知れん」
遥か昔。
雨姫山裾の雨姫山村では、苛烈な重税に村人達が苦しめられていた。朝から晩まで田畑を耕し懸命に働いても、自分たちの口には入らない。
「このままではこの村は全滅だ」
「おっ母ぁや坊におまんま腹一杯食わせてやりてぇ」
「隣の辻が村では一揆を起こしたそうだぞ」
「儂らもやるか」
「おお。そうしよう。このまま死ぬくらいなら、領主の家に申し立てに行こう!」
村の男衆は翌朝、領主の家に申し立てに行くことにした。
翌早朝、まだ夜も明けぬ内に領主の家に出向いた男衆の言葉に耳を傾けた領主は、取引を申し出た。
「雨姫山の山頂に山姫堂があるな。堂には雨を自在降らせることが出来るという小槌があるそうじゃな。それを献上せよ。さすれば江戸には物の奉納が出来、年貢米を減らせるやも知れぬ。なぁに、神とは言え、山姫。小娘一人から小槌を受け取るのは他愛もない事であろう。どうじゃ?」
領主の言葉に男衆は押し黙った。
「おれはできねぇっ、山姫様の堂を襲うなど……とんでもねぇ話だ!」
一人が言うと、皆が一斉に口を開いた。
「儂もじゃ! 村に水をもたらしてくれる山姫様を襲うなんて裏切りもいいところじゃ!」
そうだ、そうだと皆が言う中、一人の男が呟いた。
「オレは、山姫様のお堂に行ってみようと思う……」
言った男の方を皆が見た。
口を開いたのは、藤作と言い、二十歳の若者であった。
「藤作、お前っ、山姫様を襲うと言うのか?」
藤作は首を左右に振った。
「襲うんじゃねぇ。このままだとこの村でも餓死する者が多くなる。だから、山姫様と話をしてみようと思うだけじゃ」
「話をして山姫様が小槌をくださる理由がなかろう。ましてや雨姫山は人の立ち入りは禁忌だぞ」
「じゃあ爺様はこのまま何もしなくていいと言うのか?」
藤作の問いに皆が静まり返る。
沈黙を破ったのは領主であった。
「では、決まりじゃな。藤作、頼んだぞ」
最初のコメントを投稿しよう!